【1979? > 05? > 23 京都長岡ワラビ取り殺人事件(長岡京殺人事件)】

【1979/05/23京都長岡ワラビ取り殺人事件(長岡京殺人事件)】
中日新聞1979年05月25日(金)
ワラビ採りの主婦2人殺さる 首絞め胸刺され
京都 犯人は不良グループ?
【京都】京都府長岡京市で二十三日昼から山にワラビ採りに出た
主婦二人が行方不明になり、捜索が行われていたが、二十五日朝、
二人とも山中で刃物で殺されていた。京都府警は殺人事件とみて
捜査を始めた。
 23日から不明に
 殺されていたのは、同市長岡xノxノx、会社員水野xxさん(40)の
妻恵子さん(32)と、同市金ケ原平井xノxノx、会社員明石xxさん(49)
の妻英子さん(43)。
 二人は長岡京市のスーパーにパートで勤めているが、二十三日
午前十一時ごろ、早番の勤務を終えた後、自転車に乗って同市奥海印寺の
通称西山梅林(標高二百メートル)にワラビ採りに出かけた。
 二十四日になっても帰宅しないため、家人が向日町署に届け出,署員
五十人と消防団員五十人や警察犬も使って山狩り捜索を続けた。
その結果,二十五日午前十時半、家から三キロ離れた同市光明寺の裏山で
二人の死体を発見した。
 京都府系捜査一課で調べたところ、水野さんの左胸に包丁が刺さっており、
二人とも着衣が乱れていた。このため同課は、二人は刃物で誰かに殺されたと
断定、向日町署に捜査本部を置いた。
 二人が殺されていた場所は標高二〇〇メートルの雑木林内で、水野さんは
頭を斜面の上に向け下半身は着衣が脱がされており、明石さんは水野さんから
十メートル離れたところで倒れ,首をヒモで絞められ、胸に数カ所の刺し傷も
あり、下半身の着衣が乱れていた。
 捜査本部は、二人が複数の男に襲われ乱暴された後、首を絞められ、
刃物で刺されたとみている。
 二人が乗って出た自転車は二十四日午後,西山梅林入り口の畑で、二台とも
放置されていた。
 昨年十一月には、二人が殺害された現場から南西十キロの宇治市内の
田園地帯で、夜間マラソン中の主婦が失踪したまま。ちょうど半年たったいまも
何の手がかりもなく、同捜査本部はこの失踪事件と何らかの関連がある可能性も
あるとみて調べている。
 また、これまでの調べで最近現場付近の山林内の道路を暴走族がたびたび走り
回っており、同本部は暴走族の不良グループに襲われた可能性もあるとみている。
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中日新聞1979年05月28日(月)夕刊
犯人は一人と断定
被害者の主婦 「助けて」と走り書き ワラビ採り殺人
【京都】
 京都府長岡京市の山中でワラビ採りにきていた近くの主婦、明石xxさん(43)。
水野xxさん(32)の二人が殺害された事件で、京都府警の向日町署捜査本部は
二十八日、明石さんの遺体のジーパンのポケットから「オワレている たすけてください
この男の人はわるい人です」とスーパーのレシートに走り書きした
メモ
(週刊新潮の記事より)を発見した。
 このメモはあお向けになって殺害されていた明石さんの薄青色ジーパンの右ポケット
にくしゃくしゃに丸めて残っていた。パート先の「いづみや長岡店」のレシート
(幅四・五センチ、長さ九・五センチ、二十一日の日付)の裏にエンピツで書かれており、
筆跡鑑定の結果、明石さんの文字とわかった。
 タテ書きで三行にわたっていたが、ひらがな、片かな、漢字が混じり、字は乱れていた。
また、「たすけて」の「す」の字は「く」の上に二重書きしたうえ、さらに「す」と
書き加えている。
 こうしたことから、捜査本部では明石さんはレシートを手のひらに隠すようにしながら、
急いで書いたものとみている。
 また、メモの内容などから、明石さんは犯人が水野さんに包丁を突きつけながら
乱暴している間に走り書き、一旦ポケットにしまい込み、助けを求めるためどこかへ
捨てる機会をうかがっていて襲われ、殺されたとみている。
 捜査本部では、二人の主婦が同一現場でほぼ同時に殺害されている--との状況から、
犯人は単独犯なのか複数犯なのか決めかねていたが、明石さんが助けを求める"メモ"を
書く時間とスキがあったことから、犯人は一人で、まず水野さんに包丁を突きつけ,
明石さんに「逃げたら、こいつ(水野さん)を殺すぞ」と脅しながら、水野さんに
乱暴して殺害。この後恐怖のあまり現場に座りこんでいた明石さんにもロッ骨を
九本も折るなどの暴行を加えたうえ、首を絞めて殺したと断定した。
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中日新聞1984年05月31日(木)夕刊
建設作業員の二人に疑惑 ワラビ採り主婦殺人事件
【京都】
 京都府長岡京市の山中で、ワラビ採りの二人の主婦が殺害された事件で、京都府警
向日町署の捜査本部は、当日の行動に不審の多い変質者など六人を有力参考人として
身辺を洗っていたが、三十一日までにさらに二人に絞った。
 二人は同市の建設作業員A(28)とB(28)で不良グループ。
 これまでの調べによると、二人は事件当日の二十三日昼過ぎ、現場の野山から
逃げるようにして下山し、その後姿を消した。また事件前日まで現場近くの
神社付近で犬を連れてうろついたり、事件のあった翌日から急にブラブラするのを
やめて仕事に精を出すなど、急にまじめさを装うなど不自然な点が目立っている。
 二人のうち特にAは性格が粗暴で、これまでにも度々けんかを売るなど不良仲間でも
「空手の強い暴れん坊」として通っている。
 特に捜査本部が重視するのは、殺された二人にこぶしで強く殴られた傷跡が数多く
あることから空手のできるAに疑惑が強まった。
 捜査本部は引き続き二人の当日のアリバイを調べるとともに、近日中に呼んで
事情聴取する。
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5年後の事件?
中日新聞1984年05月16日(水)朝刊
主婦殺し放火 京都 首や背中メッタ刺し
【京都】
 十五日午後二時五十分ごろ、京都府長岡京市神足xノxノx、国鉄職員xxさん(54)
方から出火、木造二階建て約百十平方メートルのうち、一回の六畳居間の一部を焼いた。
居間からxxさんの妻xxさん(48)が死体で発見された。体に刺し傷があり、京都府警
捜査一課は殺人放火事件と断定、向日町署に捜査本部を置き捜査を始めた。
 調べによると、xxさんは居間の中央にうつ伏せになって倒れており、左耳の下に
深い傷が数カ所あり、背中にも十数カ所の切り傷があった。
 死体の上には居間の押入れにあった衣類数十点と布団数枚が高さ五、六十センチに
わたり重ねられ、布団や布団からはみ出ていた手足や頭の一部、周囲の畳が燃えていた。
一、二階には点々と血痕があった。
 同本部は、犯人がxxさんを刺殺した後、放火したとみて物色の跡や被害品の有無など
を調べている。xxさんは左耳下の傷の出血による失血死か、目にうっ血の跡があること
から首を絞められたことも考えられるとして、十六日遺体を解剖し詳しい死因を調べる。
 隣家の主婦が火事に気付き声を掛けたが応答がなかったため一一九番。消火作業に
当たった消防士の話では、xxさん宅の裏口が開いていたという。
 xxさん方は夫婦と会社員の長男(27)長女(23)の四人暮らし。事件当時はxxさん
一人だった。近くに住む小学校時代の同級生の男性(48)は「恨みを買うような人では
ないのだが&&」と話していた。
 現場は国鉄神足駅の約百五十メートル北西で,商店街に面した古くからの住宅街。
昼間は人通りが少ない所。
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他には週刊誌にこのような記事があります。
○1979年06月14日週刊新潮
1 2
 長岡京ワラビ採り ニ婦人暴行殺人事件の「白昼の死角」

1979年08月30日週刊新潮
 SNAP ワラビ採りの二人の主婦の殺人事件
 京都市長岡京市付近 怪しい男の似顔絵公表
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以下ネット上の情報です。
1979年5月23日、長岡天神駅前のスーパー「イズミヤ」のパート仲間で、
長岡京市に住んでいた水野さん(当時32歳)と明石さん(当時43歳)は
スーパーの仕事を終え、そのまま自転車で午前10時、同市奥海印寺の
通称「野山」(美竹台住宅地の裏山河陽が丘内の竹林)にワラビ採りに出掛けた。
野山は近所の人が山菜やタケノコ狩りをピクニックがてら家族で楽しむような場所だった。
しかし何度もワラビ採りに出かけていたはずの明石さん、3時半には子供を保育所に
迎えに行く予定だった水野さんはそのまま消息を絶った。
家族の通報を受けた向日町署が捜索したところ、25日午前10時半ごろ、
山頂近くで2人の遺体を発見した。水野さんは左胸を包丁で刺され、
明石さんは首を絞められて死んでいた。現金や腕時計など2人の所持品は
奪われていなかった。
持ち歩いていたリュックの中には、所持金、空の弁当、ワラビの束が
そのまま入っていたことと、検死の結果から二人は昼食の弁当を食べた
正午過ぎから午後2時半の間と考えられた。
明石さんのはいていたジーパンの右ポケットから、

「オワレている たすけて下さいこの男の人わるい人」

と裏に鉛筆で走り書きされた、勤め先のスーパー「イズミヤ」のしわくちゃの
レシートが見つかった。警察の捜索は徹底していて現場の山道の表層土砂を
全部ふるいにかけて、メモを書いたのに使用されたと思われる鉛筆の芯(先の部分)を
遺体から約17メートル離れた土砂の中から発見しているが鉛筆自体は見つかっていない。
主婦2人の遺体にはそれぞれ数十カ所殴られた跡があり、犯人は空手などの
武術の心得がある者との見方がある。警察庁科学警察研究所の鑑定の結果、
犯人の血液型はO型と判明している。だが、白昼に主婦2人を一度に襲い、
多数の殴打の跡があることなどから複数犯の可能性もある。
遺留品は凶器の包丁だけ。だが、指紋は検出されなかった。岐阜県関市で作られた
約7万本の中の1本とみられているが、販売ルートは解明されていない。
府警捜査本部(向日町署)は捜査員延べ約二万五千人を投入。
犯人は短靴を履いた力の強い男などとわかった。
犯行当日は山菜取りシーズンだったので、15・6人が野山に入山しており
車両も5・6台駐車していた。宅地造成地があり、大阪府豊中市から40数名の作業員が
工事に携わっていた。

明石さん(43歳)
全身約30箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。
左右計9本の肋骨が折れ、肝臓が破裂していた。シャツに乱れはあったものの、
きちんとジーパンをはいていた、が、体液が検出された。
首を両手で絞められたことによる窒息死。

水野さん(32歳)
約50箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。
0型の血液型と特定された体毛が付着していた。胸を刺傷した事による失血死。
胸には肋骨を切断して、心臓から肺にまで達する包丁が突き刺さったままだった。
発見当時、下半身の下着が引き裂かれて、ジーパンや靴が遺体近くに散乱しており、
性的暴行を受けた可能性も示唆していたが体液は検出されなかった。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4796636714/249-3806970-5022767
○長岡京市内に住む不良グループのKとM(建築手伝い)。
殺害時間直後に野山から急ぎ足で下山してきたという目撃情報があり
重要参考人となった。Kには空手の心得もありサイクリング車でたびたび野山への道を
走っていた。
○主婦二人が野山を上っていった10分後に入山した25歳から30歳くらいの
白いシャツ、ジーパンのようなズボンの二人連れ。身元判明せず。
○事件の前年同時期にワラビ採りをしていた主婦に声をかけた、40~45歳くらい、
身長170cmのねずみ色の作業着を着た男。(週刊新潮記事より)
長さ30cmくらいの包丁を持ち、
「奥さん、ワラビ採れますか」と声をかけた。
○事件の数年前から横行していたタケノコ泥棒。タケノコを掘り返すのではなく、
地上に出た部分を包丁で切り取り持ち帰るというもの。
事件発生後1年間で被害がぷっつり消えた。
(警察が出入りしているんだから当たり前だが・・・・・)
○現場付近に残されていた足跡の中で、登山靴やレジャーシューズのような
溝のある靴跡ではなく、二つだけ革靴の可能性が高い溝も模様もない足跡があった。
6日前にワラビ採りをしていた主婦に声をかけた挙動不審な中年男
(似顔絵が作成され、一般公開された)。スポーツシャツで軽装。サラリーマンタイプの男。

スポーツシャツで軽装。サラリーマンタイプの男。

【その他】
わらび採り殺人事件には続きがあります。実は殺された主婦の内途中で
帰った人がいるんですけどその主婦も事件のあと、布団でぐるぐる巻きにされ火をつけられ
惨殺されたそうです。推測ですがその途中で帰った主婦は事件の何か手がかりになるモノを
見ていて口封じに殺されたのでは?あとの事件はわらび採り事件の10年後位に起こったらしい
もしかしたらこの事件まだ時効を迎えてないかも?

17 名前:本当にあった怖い名無し04/11/06 01:38:16ID:t59zhMjm

【京都長岡ワラビ取り殺人事件(長岡京殺人事件)に触れているスレ その4】
京都の恐怖スポット
http://kyoto1.ceo-jp.com/cgi/read2.cgi?cat=miyako&bbs=main&key=950827122
>192

京都の心霊スポット
../../piza2_occult/995/995285190.html
>668

未解決事件その8
../../bubble_occult/1057/1057255863.html.html
>598>612~、>682~、>804

未解決事件20
>31

未解決事件21
>616

戦前戦後~現在の不気味な事件
http://dat2ch.hp.infoseek.co.jp/021127-1019737842.html
>870

 

未解決事件8スレ
693 名前:蕨鳥03/07/21 21:18
ワラビ採りの主婦2人殺人、時効まで1年 犯人逮捕へ執念 /京都  1993年05月23日の記事

1979年5月23日、スーパーのパート仲間で、長岡京市に住んでいたAさん(当時32)と
Bさん(同43)は午前10時、自転車で同市奥海印寺の通称「野山」にワラビ採りに出掛け、消息を絶った。

家族の通報を受けた向日町署が捜索したところ、25日午前10時半ごろ、山頂近くで2人の遺体を発見した。
Aさんは左胸を包丁で刺され、Bさんは首を絞められて死んでいた。
現金や腕時計など2人の所持品は奪われていなかった。

Bさんのはいていたジーパンの右ポケットから、「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と
鉛筆で走り書きされたスーパーのレシートが見つかった。

主婦2人の遺体にはそれぞれ数十カ所殴られた跡があり、犯人は空手などの武術の心得がある者との見方がある。
警察庁科学警察研究所の鑑定の結果、犯人の血液型はO型と判明している。
だが、白昼に主婦2人を一度に襲い、多数の殴打の跡があることなどから複数犯の可能性もある。

遺留品は凶器の包丁だけ。だが、指紋は検出されなかった。
岐阜県関市で作られた約7万本の中の1本とみられているが、販売ルートは解明されていない。
694 名前:蕨鳥03/07/21 21:20
【14年の記憶】

現場には今も花が飾られている。野山は十四年前と同じように竹林ややぶに包まれていた。
二人が自転車を止めた寂照院では、事件後のしばらくは、二人の卒塔婆(そとば)を立て、供養していたという。

近くに住む主婦(四八)は「当時、三月に引っ越したばかりで事件が起き、気持ちが悪く怖いので、
戸締まりには特に気をつけたのを覚えている」と振り返った。

当時、捜査一課長で、現在、百貨店に勤める中村昭二さんは「多くの捜査本部事件を手がけたが、一番印象深い。
警察をやめても、たびたび現場に足を運んだ。この季節になると思い出す。
犯人逮捕を霊前に報告できなかったことに悔いが残る。あと一年。なんとしても解決してほしい」と話す。

また、当時の捜査員の一人は「金を奪っておらず、ゆきずりの犯行という感じだ。
府警の捜査員にとって深く記憶に残る事件で、今も心に重くのしかかる」と話した。
遺族の一人は「つらく、思い出したくない。十四年もたったし、そっとしてほしい」と口を閉ざす。

朝日新聞データベースより抜粋
本文では被害者の方は実名ですが伏せました。 1994年5月23日に時効成立
695 名前:蕨鳥03/07/21 21:22
疑者不詳で時効前に送検 京都・長岡京の殺人放火事件 【大阪】

京都府長岡京市で一九八四年五月に起きた殺人放火事件で、
府警捜査一課と向日町署は時効を一カ月後に控えた十四日、
容疑者不詳のまま事件を京都地検に送検し、事実上、捜査を終結した。
この事件は、八四年五月十五日午後、長岡京市神足一丁目の木造二階建て住宅から出火、
一階居間の壁と畳などが焼け、居間の中央付近から、
この家に住む主婦Cさん(当時四八)の刺殺体が見つかった。

朝日新聞データベースより抜粋
本文では実名ですが伏ました。
1999年5月14日に時効成立
696 名前:蕨鳥03/07/21 21:23
興味有ったので朝日新聞データベースを検索してみました。
この2つの事件、新聞記事だと接点が見えないです。
5年後に殺されたCさんはワラビ採りに一緒に行ってたのかな?
15年前までの記事しか検索出来ないので・・・当時の新聞記事を読みたいですね
最終更新:2009年11月09日 19:54
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