• atwiki
  • ps
  • 辻元の支持母体は拉致・自爆テロ支援の赤軍派と中核派、サラ金業始めた阪急電車!

ps

辻元の支持母体は拉致・自爆テロ支援の赤軍派と中核派、サラ金業始めた阪急電車!

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集

このページは、G o o g l e で2005年5月21日04:16:16 GMTに保存された http://naomi-ando.hp.infoseek.co.jp/kenpou.htm のキャッシュです。
G o o g l eがクロール時にページを保存したものです。
そのため、このページの最新版でない場合があります。こちらから最新のページ(ハイライト表示なし)を参照してください。
このキャッシュページにはすでに参照不可能な画像が使用されている可能性があります。テキストのみのキャッシュページを参照する場合はここをクリックしてください。
このページのリンク又はお気に入りの登録にはこのURLをお使い下さい:http://www.google.com/search?q=cache:nlGsgVvPZmMJ:naomi-ando.hp.infoseek.co.jp/kenpou.htm+%E6%9D%8E%E9%AB%98%E9%A0%86&hl=ja


Googleはこのページまたはページ内のコンテンツとは関連ありません。
これらのキーワードがハイライトされています: 李 高順

--------------------------------------------------------------------------------

辻元の支持母体は拉致・自爆テロ支援の赤軍派と中核派、サラ金業始めた阪急電車!

~赤軍と飲みに行ってる公安や極右にも付く安保堅持の統一教会を使って復活狙う偽左翼で世界の害毒=辻元潰しが獲得目標です~祝参院落選!高槻島本でも絶対落選させてやる!

★NPO登録していないのに国連ユネスコの公式協議機関にまでなっているピースボートの脱税等を税務署に摘発すること→http://www.osaka.nta.go.jp/ http://www.tokyo.nta.go.jp/

★ピースボートや、赤軍関係者がしょっちゅう北朝鮮や中国、中東に行っており、辻元清美も日本人が行けないときにカンボジアに武器を持っていったと言っているが、麻薬や武器の密輸を税関に告発する。→0120-461-961(24時間)

>>ピースボートのポスター貼っている店に「赤軍派がやってる」と教えてあげたら剥がした!

 2003年7月16日の各紙に、辻元清美さん刑事告訴へ、といった記事が掲載されていた。これは私への誕生日プレゼントかと思った。創価資本で社民党を残したい報道ばかりしていた毎日新聞さえ、ピースボートのことを「民間国際交流団体」とは書いてもNPOとは書いていなかったし、社会面に「なんでやねん」は第三書館社長(国際テロリズム要覧によると、偽造旅券や商社員誘拐未遂で逮捕された、今でもテルアビブ乱射事件を正当化している日本赤軍の北川明)の著作とまで書いてあった。

 週刊新潮には辻元さんの政策担当として北川明の名刺やツーショット写真もあり、秘書給与で食っていた一人が北川明、と判明すれば、NPO非登録ピースボートの脱税容疑→万景峰号も使ったことのあるピースボートの工作船容疑、となる。週刊新潮で報道された担当弁護士との火遊びや第三書館の倒産もあり、辻元清美さんの政界復帰はまず不可能になったと言って良い。

 辻元清美さんは、2000年の総選挙で、赤軍系の病院や生協が再結集し、地元では共産党と言われているが実は中核派病院が擁立した市議と、阪急電車労組が協力して当選することができた。村山元首相が安保堅持に転じた後、1996年に、連合系が殆ど民主党へ移籍してからの社民党は、土井たか子党首の側近秘書・五島昌子さんが赤軍派と中核派に頼って”市民派”候補を擁立してきたと言ってもよい。

 同じく社民党市民派の代表格とされ現幹事長の福島瑞穂さんは、ご自身のホームページに国会で新左翼過激派擁護発言を行ったことを記述しており、テロ万歳を唱える中核派主催の公安関係集会で積極的に発言している。↓

http://www.mizuhoto.org/kokkai/houmu991125.html

http://www.zenshin.org/f_zenshin/f_back_no/f1957.htm

 日本赤軍(重信房子代表)の国内支援組織「希望21」を母体とする社民党の支援組織「市民の絆・京都」で、1999年2月、辻元清美後援会幹部という肩書きの「吉田守」名刺をもらい、後で重信房子隠蔽で逮捕された病院職員だと分かった。この病院職員や「虹と緑の500人リスト」関西代表の選挙運動に辻元清美の義理で来ていた自称赤軍派はしょっちゅう北朝鮮に行っており、「共産党はやることがなくなった」と言っていた。辻元さんは、「比例で党名を書いてもらうために立候補したような選挙区の共産党候補の事務所に押し掛けて安保認めよと食ってかかった」と、自分の2000年選挙報告に書いていた。

 よど号帰国者グループの「かりの会」は婚外子差別と闘う会で一緒だった北川れん子元議員とも親しく、非婚母子の問題を「天皇制が悪い」というところに無理に帰着させるやり方に疑問を感じていたら会を除名されてしまった。

 重信房子は日本赤軍の合法活動への転向を表明しているが、フセインとの間に12年前の湾岸戦争で日本人人質を解放させるようなコネがあり、アラブに自爆テロを持ち込んだテルアビブ乱射事件は反省しておらず、社会新報は昨年までイラクへの査察強化に反対論調であった。重信房子のアラブ情報は、アメリカにも流れている。↓

http://www.zakzak.co.jp/top/t-2001_10/3t2001101801.html

 辻元清美氏の大阪市大講師棚上げ情報を朝日新聞に流したのは私です。辻元さんと赤軍との関係について追っていると私にすり寄ってきたライターが、実は拉致=共産党の仕業という本を出して共産党から訴えられている創価学会員であった。辻元清美さんは元創価学会員であり1996年総選挙で創価学会に支援を頼みに行って断られたと白川新党で聞いた。

 辻元さんが赤軍の支援であることばかりでなく、鈴木宗男氏が中川一郎議員を自殺に見せかけて殺すか、自殺幇助して議員になったことを時効の今でも報道しない日本の新聞社もテレビも腐っている。辻元さん自身がピースボートでカンボジアに武器を持っていった、20年前に失効した免許を議員辞職後に再取得したとあるのに2000年総選挙直後に「車を運転していたら国道171号線に右折車線がないのが不便だとよくわかる」と書いていたことから、武器密輸や無免許運転を平気でする人だということも報道すべきである。

 50年前に火炎瓶を投げていたことを反省している共産党さえ、社民党の支持母体である赤軍派は怖い、と書いている。↓

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-09-26/19_1501.html

 

 土井たか子氏は北朝鮮に親戚がいるのを隠していると、北朝鮮に詳しい重村智計氏(元毎日新聞、現拓殖大学教授)の発言を元に週刊文春に書かれたことがある。日本国籍に帰化して立候補したという噂については、官報の帰化許可公告を検索したが、本名の土井多賀子や李高順で該当しなかった。13年前、第一次湾岸戦争回避のためにフセインに会いにイラクへ飛んだ頃は、社会党の支持基盤として総評は健在であったが、赤軍と分かって辻元清美を、中核と分かって福島瑞穂を、それぞれの支持基盤をアテにして擁立するようになった今、引退の潮時である。親戚とは姉・土井和賀子の子という噂で、訪朝時に軍用ヘリで空白の一日に会いに行った、そのことは警察の上位5人しか知らない機密になっている。重村氏によると、土井さんのお姉さんは十数回も住民票を変えており辿っていくとあることに行き着く、悪いことではないのに隠す方が差別だ、とのことでした。(下記サイト9月末に閉鎖!)

http://www.korea-np.co.jp/sinboj/sinboj2000/sinboj2000-9/sinboj000918/81.htm

在朝日本人女性故郷訪問団第3陣名簿(←抜粋、梅澤桂子は辻元清美公設秘書(44、杉並区在住)と同姓同名)

朝鮮名(日本名)   年齢 本籍地   現住所

李桂順(梅澤桂子)   61  東京都   平壌市

 

野中広務の著書「私は闘う」から読みとれない「なぜ反共?」

 「白川新党で聞いた都議選最下位の人、ひょっとして帝菱とかいうつぶれた会社に何千万流した野中広務の秘書?」と園部や亀岡の掲示板に書き込んだとたんに、野中広務氏が引退表明した。野中広務氏は京都の解放同盟と深い関係があるのでは、主張から考えて社民党を影で動かしているのではと思いこんでいたが、野中氏の著書を読んで、次のことが判明した。

★反共のきっかけは、青年団活動を共産党に乗っ取られそうになったからである。

★国鉄で内部不正を告発する部署にいて出世しすぎて妬まれ、25歳の時、故郷の園部で町議になることにした。33歳の時町長選で社会党候補に勝った。

★府議時代は、共産党の蜷川府政に、不公平を感じさせる部落政策を改めさせた。

★国旗国歌法制化のきっかけは、広島の校長自殺である。

★2002年の知事選は、自民党を挙げて副知事を応援し、共産党に10万票差で勝てた。

★後継を田中英夫亀岡市長と指名したのは、地方政界出身者が国会議員になるべきだから。

 以上から、野中氏は、(民青出身で安保反対に疑問を感じて自民党入りした白川勝彦氏のように)自民党の中でも社会党的な政策を実現しようとしてきた人、と言えそうではない。不公平を感じさせる部落政策を改めさせることは、今、京都では共産党が熱心に取り組んでいる。ひょっとしたら、共産党が野中氏の政策をパクったのかも知れない。知事選のビラを見ても、いつも、共産党推薦候補が出してきた政策を自民党を含めた相乗り候補がパクっていたし、共産党参院議員の西山登紀子氏が演説会で言っていた30人学級を、福山哲郎氏が民主党のマニフェストと公言している。

 地方議員・首長経験者が国政に出るのも結構だが、野中氏の標榜する「いい郷土つくろう」は園部に高速道路、道の駅、お城の会館、土壌浄化法下水道、トンネル河川といったもので、世界の中で日本国全体がどうあるべきか、といったものとは思えない。

 野中氏の反共というのは、青年団時代の対抗意識から来ており、確固とした政策的な信念からきている訳でもないのでは?共産党の方も、乳児医療や住宅改修助成など、医療や建築関係の支持母体への利益誘導と考えられないこともない。自民と民主の2大政党とも、自由競争優先で低所得の人に冷たい政策を打ち出しているけど、共産党がそれを是正する香辛料的勢力にはなりたいと考えるのなら、綱領を変えても安保反対を貫くことを盾に、途上国との公正貿易(フェアトレード)や、新しい技術を用いた農林水産業の見直しなど、野中広務氏の主張にも正面から対抗できる共産主義的な理念を持つべきだろう。

 

立正佼成会頼みの福祉の偽善者・山井に投票する共産支持者は無知過ぎる!!

~白川新党で京都の佼成会に私を応援させなかった弱者踏み潰し山井和則~

 化学を学んで福祉のプロを辞任する山井和則氏のブレーンは妻の大学助教授・斉藤弥生氏であるが、高齢者対策を行き届かせるのに施策を市町村に持っていったら良いと言うばかり。高齢者の豊富な貯蓄を福祉に役立つ方向で市場流通させるためにも、高齢者の生活が容易になるような住宅改修助成に補助を出すなど、雇用創出も財政赤字解消も視野に入れた複合政策を提案して行くべきだ。

 市町村合併についても、国の合併促進は特例補助金というニンジンをぶら下げてのことだけど、住民サービスに主眼を置くなら、保育や図書館など、隣接市町村が相互に利用できるようにすることを広めることから始めれば良い。

 

 ~棚ぼた市長・牟礼の菱田継承・悪行~

★市参与・横須賀昭男氏を4年後の市長推薦を約束して市議補選に回すのは公選法違反★★事実なら牟礼市長は辞任を★★→時効は2007年2月8日

○ 公職選挙法(昭和25年4月15日法律第100号)(抄) 

(公務員等の地位利用による選挙運動の禁止)

第百三十六条の二

五 公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。)を推薦し、支持し、若しくはこれに反対することを申しいで、又は約束をした者に対し、その代償として、その職務の執行に当たり、当該申しいで、又は約束した者に係る利益を供与し、又は供与することを約束すること。

 

1.下流河川もできていないのに田圃の中の曲がった川をコンクリートで固めた大門川改修、第二京阪や上津屋樋門と関連する地上げ区画整理か?

 1993年、菱田市長になってのち、1995年より、八幡市管理の大門川の改修が進められてきて、昨年完成した。決算報告では平成9年(1997年)に支出が完了しており、毎年、京都府から4割も「寄付」名目の補助が出ている。

 改修に着手した当時、大門川の下流部は水田の自然状態に近い状態であり、放流先の京都府管理河川・防賀川の改修もできていない。第二京阪の下に併設されることが決まった上津屋樋門へ続く放水路により、大門川流域は大変小さくなった。大門川改修計画では第二京阪の下の上津屋放水路は想定されているが、市民への広報は1997年以降であった。周辺は以前から市街化区域にされていたものの、改修時点では土地利用計画が不明確であったため、蛇行した元の流路のままで下流部までコンクリート三面張り河川になり、軟弱地盤に変形コンクリートボックスを入れる必要が出てきて、設計施工が大変だった。現在では区画整理事業に係って耕地が激減し、荒れ地のようになっている。放流先の防賀川には、流下能力が小さい箇所があるのに、改修済みの大門川は暫定流量しか流れないようにする処置を取っていない。

 城陽市の今池川では田圃の中ならコンクリート三面張りから多自然に裁可蝟集する、といったことも行われている。暫定流量にするのに、設計報告書では下流端に床固めを儲ける計画となっているが、多自然案も含めて、区画整理の当事者である地権者など地元住民の意見を尊重した検討をすべきである。   関連する市議会議事録

 

2.橋本南山線パチンコ屋浸水問題

 菱田市長時代に設計した橋本南山線の排水工事不備で、牟礼市長が閉店中のパチンコ屋グレースに改装費や機械費など4,100万円払ったという、新聞にも掲載されていた件。隣の洗車場を用地買収できなかったため逆勾配で排水したからとのことだが、境界に土のうを置くこともしておらず、グレースは新装開店したとのことである。集中豪雨は時間27.5mmで、一応新聞にも載っていたが、数年に一回はある程度のもので、事件数日後に洗車場を買収し適切な工事が施されている。補償金でパチンコ店を助けるためにわざと用地買収を拒否させたり手抜き工事をさせた可能性も否定できない。関連する市議会議事録


 

第二外環状道路排水に不要なポンプ作らせる力、菱田には無かった。

 第二外環状道路(宇治川と桂川の合流点付近)の建設に伴い、付近の農地の浸水対策として、0.3m3/sのポンプ場を設けることが、国土交通省京都国道事務所により計画されている。このポンプの設置は、菱田氏が市長を辞める直前に、京都国道事務所から強く要請されていたが、淀川工事事務所に菱田氏が要請しない限り設置できないと言われていた。今でも、淀川工事事務所は樋門を改築するだけで、ポンプ無しに第二外環は供用した。

 内水計算を行っても、農地に道路からの排水が載らないようにしてほしいという要望に応えるだけなら、ポンプは要らないし、宅地や道路の冠水も皆無である。

 

塔の川締切直後の消防署建設ラッシュ

 天ヶ瀬ダムの放流量を増加させるため、宇治川の河床掘削を行う必要があるとして先行された塔の川締切であるが、鵜飼いの舟運に支障となり藻が沸いて、国交省も対応に追われた。塔の川締切工事がなされるとほぼ同時に、宇治公園付近を高齢者に優しくするバリフリー整備が行われた。これは衆議院当選した菱田氏の初仕事では、と直感した。

 八幡でも、第二京阪高速道路で景観が損なわれた流れ橋周辺に交流施設を作って、後援会中心に時代劇祭りを開催したりしている。地域の祭りとして宣伝すること自体は面白いが、あらかじめ業者が決められているような大型事業は必ず遂行し、言い訳的な福祉・環境対策を付加する、というやり方である。

 京都府議会では塔の島のことよりも天ヶ瀬ダム再開発による利水の利点ばかり取り上げられている。今年2月議会では、天ヶ瀬ダムの水利権など不要では、琵琶湖の治水に役立つが宇治川に負担になる1500m3/s放流要るのかと追及されている。宇治市議会はアクロバットリーダーのため検索しにくい。宇治市からの情報をお待ちしています。

 さらに、財政が良くないからと上から合併が言われているはずの八幡市、宇治市で、消防署の新設が相次いだ。

http://www.mlit.go.jp/kisha/pubcom/pubcomt167_.html#02

 

自衛隊はイラクに行っても雇用創出できない

  イランは要らんと言っているのか?

 

護憲か改憲かでも、論憲か創憲かでもない「考憲」のすすめ

            ~護憲と愛国は矛盾しないはず~

 これまで、改憲論と言えば「9条は非現実的だから、現実に合わせて変えよう」というのが主流だったが、最近にわかに台頭してきており、国民の8割以上が支持しているものに、「首相公選制導入のために改憲ぐせをつける」というのがあった。

 憲法や教育基本法の見直しというと、歪んだ愛国主義→戦前への復古という人も多いが、私は護憲(まじめによく考える「考憲」)こそ自国を大事にすることで他国も大事にできる「愛国」の基本であると思う。公安が摘発・解散命令を出せる対象としているのは、「日本国憲法の下に成立した政府を暴力で破壊しようとする政治団体」であって、公安調査庁の報告書も毎年公刊されている(赤軍と飲みに行っていると癒着も聞くけど・・)。

 日本国憲法で議論の対象にされるべきなのは、9条や国民の権利義務だけではない。改憲規定もあるのだから、天皇制も議論されてよい。最近の国際紛争の原因が先進国の贅沢と途上国の貧しさにあるとすれば、地球環境に注目して自国ばかりでなく他国も大切にする、といった条文を入れてもよいだろう。

 これまで「海外派兵はしない」を基本方針としてきた自衛隊のイラク派遣であるが、私には、本来の目的とされる雇用創出ができるとは思えない。どんな雇用を、どうやって何人増やせるのか、報道規制もされるようだし国民に見えない。イラクの人が期待しているのは社会資本整備だが、だったらなぜ土木建築の技術者などを派遣しないのか?自衛隊がある地方でも雇用は増えていないから、外国に行っても慣れない天候で使い物にならないかも知れない。あるいは、自己完結なら余計に、沖縄の基地産業のようなサービス業だけ増えて、引き揚げたら現地の人には技術や産業はあまり残らないのかも知れない。

 ここ10年で最大の犠牲者を出したイラン地震だが、阪神淡路震災で自衛隊のテントは暖かいと喜ばれたのだし、国際貢献を言うなら、イランへ行った方が喜ばれるのではないか?イラン政府はもう要らんと言っているのか?

 憲法改定問題も、国会で決まったのをそのまま一括りで国民投票にかけるのでなく、最高裁裁判官審査のように条項ごとに国民的議論ができるようだと、安易に9条や権利義務が改悪されるということはない。ご意見は、→naomi-ando@mail.goo.ne.jpまたは掲示板へ

       改憲論       慎重論


   前文

  ・敗戦国のざんげ文のようでイヤ
・環境権や日本の伝統文化尊重が入っていない ・不戦も反省していれば信用される
・環境権などは付加すれば良い
 

   天皇制


  ・元首にすべき
・第1章でなく国民主権の後に
・廃止も視野に入れて検討すべき ・象徴で、国民的に定着している


 

   首相公選




  ・密室で首相が決まるのはイヤ
地方のような大統領制にしてリーダーシップを発揮してもらう
・元首にし天皇制廃止も視野に
  ・議院内閣制を堅持し政権安定
・首相立候補要件(組閣できる国会議員や多数政党でなければどこと連立するかなど明記)はっきりしないと単なる人気投票に


   9条





  ・自衛隊の存在は9条2項(戦力不保持)と矛盾、これを改訂し、侵略しないなどを明文化する
・国家として存在するには自衛のための軍備は不可欠、アジア諸国も含め殆どの国は持っている
  ・戦力明記すると日米安保も双務的なものが要求される
・アジア諸国から警戒される
・現実に軍隊のない国(中米コスタリカ)もある、中立条項入れては
・国家の役割は住民安全のルール作りで、軍隊で守れるものでない


   権利義務


  ・子供、外国人の権利や、環境権が入っていない
・権利と義務とのバランスが明記されていない ・他の法律や憲法解釈でも実現できる


 


   二院制


  ・参議院は公選やめ元老院に
・参院の首相指名権、大臣を出す、否決法案の衆院2/3再可決を見直す ・立候補要件や選挙方法、審議内容を変えることで対応できる


 

   改憲規定

  ・両院の2/3を、1/2にする
・国民投票だけでも可能にする ・慎重な手続きを踏まねば改訂できないことで理想に近い内容が保てる

























 

 なお、選挙権年齢、道州制か都道府県制かについては、現行憲法では明文化されておらず、これらを変更するためにまず日本国憲法を改正する必要はない。

 

無防備宣言運動について

 無防備宣言は、中国・北朝鮮を含めて世界150カ国以上が加盟しているが、日本はアメリカとともに非加盟である。ジュネーブ条約追加第一議定書の第5章で、全ての戦闘員や軍用施設が撤去され、軍事行動を支援する活動が行われていない地域を攻撃することが手段の如何を問わず禁じられている。無防備宣言は沖縄戦でも住民を守った実績がある。
 図案の作者、松本みな子さんから寄せられた次のメッセージ(抜粋)より、護憲を叫ぶことが平和への道筋と言うより、心の問題が大きいことを知らされた。
「ガイアシンフォニーの一番では、たくさんの興味深いぞうの性質が紹介されていましたが、一番すごいなと思ったのは、旱魃などで木の実や草などの食糧が数少なくなった時、ぞうはその食糧を奪い合ったり、食いつくしたりするのでなく、ただ自ら食べることをやめて、静かに死んでゆくというおだやかな死にざまです。私にはとても真似できません。
 戦争は本当になくすことができるのか?血のつながった家族でさえ喧嘩をし、恨み合うこともあるくらいです。国と国のような大きな単位では、一旦こじれるとよけいに修復が難しいのだろうなと思います。無防備地域宣言をするとはどういうことなのか?もっと考えていきたいと思っています。無防備地域運動を私がしても、私自身の心が平和でないと、私の周りに伝わっていかないのだろうと思います。」

 イラク戦争後にアメリカがイラクをはじめ中東に憲法9条まがいを持ち込もうとしており、「日本国憲法を盾にした左翼の存在意義」というものは大変薄れてきている。外圧排除を言うなら、アメリカでは「原爆で日本人をファシズムから解放してあげた」という教育がなされているという事実も日本の教科書に記載すべきである。国際競争を第一義にした新自由主義でなくて国際的な共生をめざすとか、軍隊のない国コスタリカが自国の悪いことを隠さないことなどを理想にいきたいとも思う。

 この無防備運動図案発案者は、大阪阪南で地域地球村を作っている山田まりさんの従妹。京都府南部で「やましろ地球村」を一緒に作りませんか、と言ってきた杉本さんは、無農薬無化学・動物性肥料の自然農法産野菜を売っておらえる。この栽培法でうまく作れるようになれば、河川敷でも水質悪化にならない、という「川の学校」事業との共通項が見いだせて、とても嬉しく思っている。

 

白川新党で知った政党助成金や無届費用をアテにした選挙の不正

     ~白川氏を提訴し和解のいきさつと辻元氏の赤軍疑惑
 2001年6月中旬、「新党・自由と希望」を立ち上げようと候補者を募っていた白川さんにホームページを紹介したところ、採用され、「護憲」「住民運動歓迎」を条件に、比例名簿搭載者として参加することになりました。候補者に応募したのは50人いたが、白川さん自身が履歴書と面接で、9人に絞り込んだそうです。
 比例代表制やアジアの安全保障について白川さんと若干意見が異なるところはありますが、「個人情報保護法で政治家は対象外にすべき、叩かれたら反論できないと」というあたりは賛同でき、また供託金も半分出すというので了解しました。

 出遅れ、準備不足は党首の白川さん以外は五十歩百歩でしたが、私は次の状況が読めず、酷い目に遭いました。供託金の助成は誰か現職国会議員の政党助成金かも知れません。
◆白川新党の最大の支持母体は立正佼成会であり、その京都教会長は山井和則氏を支援していると言った。佼成会は表向き白川しかできないという理由で私を全く支援せず、選挙終盤になっても党のポスターを貼っている運動員と会わせてさえくれなかった。

◆もう一つの支援組織で私も会員である9条連(JR総連、革マル派系)は、大阪選挙区で公明党候補を支援しており、白川氏は京都大阪には来なかった。

◆私が加入していた虹と緑の500人リストのメーリングリストで、辻元清美さんの私設秘書から、「辻元さんと日本赤軍の関係釈明を」を取り下げない限り支援するな、と流された。このことを取材に来てくれた産経新聞に言おうとしたら、参謀から私を遮ってオフレコと言われた。

◆公選ハガキ(15万枚)の住所電子データと原稿を提供して党本部に印刷と差し出しをを頼んだら、私の名前で「創価学会反対、党名で投票を」とだけ書かれたものを発送された。

◆党を支援していた長野県の自民党県議や、兵庫県知事選の相乗り候補の所へ行くな、地元で共産党とポスター貼りなどで協力してやれ、と2003年統一選で区議を引退した党派遣者Dからきつく言われた。見せてもらったカタログの倍以上のレンタカー代請求書を送りつけた党事務局長NやDは、法定費用の倍で運転手を雇い無届けの運動員に報酬を払うことを強要した。レンタカー屋は、政党助成金で払えるはずだが下りなかったので個人から金を取り立てると私にも調停請求してきたが、党預り金が支払われた証明は見せなかった。

→☆自分の党では言えないことを言うため人を潰すためにミニ党や候補者を擁立したり、法外な人件費やレンタカー代を払うために流用される可能性のある「政党助成金」を廃止ないし使途を厳格化する、☆首長選の意図的な三極化や法定費用以上のボッタクリを防ぐためにも供託金の出所や選挙カー代を届け出なくて良い公選法規定を改正する、☆比例区は全国に7万枚のポスター板を党の責任で設置することができるかどうかを事前審査するなど、来夏までには「裏金政治」と「環境破壊」防止のために制度を改革すべきでしょう。

 

■社民党系・市民の絆に入会して

 なぜ、社民党などから選挙区に出なかったのかと党関係者からも言われました。土井さんの一声で決まった辻元さんや保坂さんの時の反省から、社民党はまず都道府県連合で候補者を決めることになっていました。1998年参院選直後、京都府連合関係者から参院選に出ないかと言われていました。2000年総選挙直後から、辻元さんが清水澄子さんと手を結んで、選挙区に出たがっていた笹野さんを担ぐことにしていたため、京都は封じられました。鳩山さんは「西日本の重点候補にする」と言ったのに、笹野さんを比例区へ動かせませんでした。連合に支援され中道的な議員活動をしていた笹野さんに、バリバリ新左翼の同志社女解研が勝手連としてつきました。大阪選挙区の決定権は辻元さんが握っており、組織や知名度が特別な人を除いて、赤軍派やピースボートに愛人のいる人などが社民党公認・単独推薦の国政選挙候補者に抜擢されやすいようです。ただ、98年の長崎由美子さんは辻元さんの政党助成金で擁立し、赤軍派も有償で手伝ったと聞いています。結局、社民は大阪は立てず、比例近畿重点候補に船橋邦子さんが擁立されました。船橋さんと後日お会いしたら、大学(理学部地理学教室)後輩の私のことはどんな集会に参加したかまで調べた、と言っていました。

■白川新党事務所で見聞したこと

 また、白川さんの事務所で、宮崎学候補・臼杵敬子候補の担当として、あの重信房子をかくまって釈放を求めている「救援連絡センター」事務局長・山中幸男氏の名刺をもらいました。山中氏は、現在、秋葉原でオウムのパソコンショップY2PCを経営しています。

 2001年7月1日、宮崎氏と臼杵氏とともに行った記者会見後、白川さんはこれから党の方針は宮崎さんと話し合って決めると言いました。佼成会に遠慮せずに反権力一色の選挙運動を展開した宮崎さんとの共通項が、反創価学会であって、宮崎さんは昨年の総選挙で白川さんばかりでなく辻元さんや保坂さんも応援しており、社民党や辻元さんの思惑が無かったとは言えないように感じます。宮崎氏の擁立で関西の佼成会は退いたそうで、党の派遣者はひたすら白川さんのためと思って私に指示して迷惑をかけた、と言っていました。なお、白川さんは元民主青年同盟だったが、安保闘争に疑問を感じて共産党には入らなかったと、ご自分で書いておられました。

■共産党から聞いた公明党・創価学会のこと

 後日、共産党から、「参院選では公明党から随分攻撃されて参った」と聞きました。これで、なぜ、私が得票できないのが分かって、共産党とやれとか、共産党と対立する人の所へ行くなと言われたのか、分かりました。選挙後、NPO活動立ち上げなどで共産党系団体のお世話になりましたが、これからは自力で行政の後援を得られるように交渉していくつもりです。

■テロリストを擁護する社民党

 国会で、テロ組織への資金支援を規制する法案や、不審船への射撃を認める海上保安法改正に唯一反対したのは、社民党だけです。海上保安法については、実際に2001年暮れの奄美大島沖の件で相手船乗組員全員が死亡し海保乗組員さえ泣いていたため、賛成した共産党にも抗議しましたが、その時、共産党機関誌を精読している友人は、「あれは金正日万歳と叫んで自沈した工作船」と教えてくれました。虹と緑のメーリングリスト関係者から、「テロ資金規制法は市民運動弾圧だから反対署名に協力してくれ」、というメールが流れてきて、その時はよく考えずに賛同してしまったように思います。

 辻元さんの辞任後参考人招致でお世話になった穀田恵二氏の事務所に、公安調査庁の「国際テロリズム要覧2002」という本が置いてありました。その中に、日本赤軍は今でもテルアビブ乱射事件を「アラブに自爆テロを持ち込んだ自己犠牲のリッダ闘争」と美化しており、ペルーの日本大使館襲撃事件にも関与したとありました。本拠地は、アメリカにもあるそうです。「丸岡修のホームページ」によると日本赤軍はラディン氏を反動的と批判していますが良く知っており、週刊新潮には、辻元さんがたくさん本を出している第三書館社長で、内縁の夫とされる北川明氏が帰国して日本赤軍での活躍が新聞に載ったのは、1975年9月4日と9月11日とあります。テロリストは日付にこだわるそうですが、10年前に湾岸戦争はアラブ民衆の蜂起だから長引くと言っていた辻元さんの予言通りの状況になるきっかけが造られたのは2001年9月11日です。

 私を白川さんに紹介した田中良太さんから、記者時代に日本赤軍を取材した、やったことは犯罪だが動機には共感できる部分もある、といったMLをいただきました。いくら日本赤軍が理想社会を実現できる革命を目指していたとしても、大量殺人や飛行機の乗っ取りは許される行為ではないし、そういう団体に支援されて自分の政治的地位を築いたのなら、そのことを明らかにして釈明する必要があります。共産党の人とも、火炎瓶闘争を反省しているのか議論し、納得できる回答だったので首長選に協力し、9条連も革マル時代の叩き合いは過去のことと言ったので会員を続けています。

 共産党に対しても、火炎瓶闘争を50年も前に止めたはずなのに、拉致問題を追及した兵本秘書を公安に就職依頼したからとなぜ解雇したのか、公明党との拉致問題を巡る不毛の論争の中で明らかにしないのはなぜ、兵本氏も公安情報を提供するなどせず不破氏を査問しろと言うのも何だけと、といった疑問を感じたりします。国民の安全を守るべき警察に対してやましいところがなかったら、地域で文化活動や平和運動をしている共産党員やシンパも、共産党であることを隠す必要はないのでは?虹と緑に多い元新左翼についても、なおのことそのように思います。マル共連(マルチメディア共産趣味者連盟)や現代古文書研究会(某サイト)ではないけど、共産党も新左翼も、旧党派色のヘルメットでもかぶって武力闘争から転向した経緯を表現する選挙運動でもしたら面白いんじゃないでしょうか?→統一地方選で共産党は惨敗しました。反テロを条件に新左翼と仲直りされては?

■大阪市大講師就任に当たり明らかにしてほしいピースボートと赤軍の関係

 辻元さんはピースボートの飯が値段の割にまずいといった記事を週刊誌に書かれても「名誉毀損」で訴えるので、証拠がはっきりしないとマスコミも警察も怖くて取り上げられない、とのことです。参考人招致を仮病で引き伸ばして、政策秘書の話だけで切り上げ、日本赤軍のことを追及されるのを回避し、次は大阪市大講師で復帰を狙っています。

 ピースボートの煙突には北朝鮮国旗が描かれているのに角度を変えて報道されないと言われていましたが、新潟に寄稿した万景峰号はピースボート2回使用したと、ピースボートのHPに書いてあります。3ヶ月138万円のピースボートは、3枚1000円のポスター貼りなどボランティアスタッフをすることで安くなるそうで、学校や職場で行き場のない若者が来る、本当はこんな組織なくなってしまった方が良いと思うと、匿名のメールが来ました。

 10月の補選では、辻元票を最も多く取ったのは早起き会支援・自民党右派公認漏れの吉田康人さんでした。共産党は、元職女性を出したのに、辻元さんに票を取られたはずの前回と得票数で大して変わらない惨敗でしたが、最悪だったのは菅直人氏の息子の代わりに元市長を出して共産党にも負けた民主党でした。辻元さんは本当は赤軍派や中核派の支援で戦ったのに、組織も何もない市民派でも勝てると思って出た人がおられたら、大変な迷惑です。

 辻元さんが2003年4月~大阪市大でのNPO講師棚上げは、私が情報提供をした朝日新聞で2月に、そして5月にはついに毎日新聞でまで報道されました。個人情報保護法で週刊誌は対象外になってしまうようですが、マスコミの方々、辻元さんや社民党と国際テロリスト・日本赤軍や赤軍派かりの会などとの関係を、勇気を出して報道して下さい!!!

■社民党支持率、嫌悪率の変動

 拉致問題が明らかになって、社民党の支持率は1%を切るようになりましたが、創価学会が大株主の毎日新聞では、3%を割ったことがありません。辻元さんを批判する記事も、殆ど載りません。公明党を抜いて、嫌いな政党No.2になったという結果を報道する新聞もあります。南北朝鮮首脳対談で2000年総選挙では大躍進し、次は共産党との議席数逆転を目標にしている社民党ですが、嫌悪率の逆転が現実問題になりそうです。

 社民党後援会がアラブに自爆テロを導入したことが明らかになったら、共産党を抜いて嫌いな政党No.1になるでしょう。共産党は党員数×最大で10、公明党は創価学会員数、社民党は党員数×100が得票数と言われます。国会議員ばかりでなく、京阪電車など、京都でも社民離党が相次いでいます。府議選、政令市議選もできなくなっているでしょう。

 土井たか子さんが党首を辞めたら護憲運動が負けるという有名人もいなくなってきました。軍隊のない国、コスタリカでは、警察は信用されているし、国民は自国の悪いところも隠さないし、子供も政治に関心が高いのです。有事法制反対の長野県知事・田中康夫氏の選挙ビラには、知事の危機管理室を強化する、という政策が書かれていました。

 共産党は、社民票獲得を狙ってか、社民や新左翼と護憲集会などよく開催していますが、高槻・島本の選挙結果からも、共産党自身の努力でどこまで嫌悪率を下げられるかがポイントでしょう。

■辻元さんは赤軍系出版社の元取締役で、高槻後援会も日本赤軍!!

 辻元さんと日本赤軍との関係を立証するものとして、新宿大久保近辺のマスコミ記者より、第三書館社長北川明氏(元赤軍派)と一緒にいるところをよく見かけていると聞きました。ピースボートは毎年会計報告をしないといけないという理由でNPO登録していないと昨年暮れ、電話で聞きましたし、第三書館に何千万も金を貸して辻元さんの政治活動の本や、反創価学会の本を何冊も出している、それは反学会の宗教団体が買い取ったらしい、といった情報があります。立正佼成会などに聞いてみましたが、サンプル購入は否定しませんが大量購入はないとのことでした。

 市民の絆・京都で辻元清美高槻後援会幹部の吉田守氏(重信房子氏隠蔽で逮捕)の名刺をもらったり、3年前から辻元さん自ら赤軍派が隠れていた西成にツアーを組んだりしていた、と通信「清美したデ!」に書いていました。重信事件の後、虹と緑など市民派地方議員や活動かが一斉捜索されたとき、先頭に立って反対したのは福島瑞穂さんの夫で中核派系弁護士の海渡雄一さんでした。海渡さんから私に送ってきたファックスは、京都府警に郵送してあります。
 やはり宮崎さんが応援した保坂展人さんは、参院選後2回も新宗連集会に行っており、第1回ピースボートから辻元さんを手伝っていました。
 辻元さんが白川新党選挙に関与した疑いを裏付ける状況証拠として、白川さんから「得票1%未満で自己負担になった新聞広告代一億数千万について、候補者にも督促状が届いたが、党のほうで何とかするから心配ないよ」という手紙が届いた時期と、辻元さんが保証人になっている北川明氏の選挙資金名目の借金を返さなくなった時期(週刊新潮より)とが、昨年10月と一致している、というのもあります。

 高槻の光愛病院の方から、重信房子の携帯電話が元職員のだったとかで、2001年1月17日に病院に、また高槻・四つ葉生協にもガサ入れがあったという情報を得ました。高槻後援会にも辻元さんはわがまま娘という評判もあり、また、大阪の社民党員からも「次期党首は福島瑞穂さんの方が良いのでは」という意見を2000年に聞いています。

■土井たか子側近・五島秘書と市民派の内実

 辻元さんに政策秘書を斡旋し資金繰りを指南したという土井さんの秘書・五島昌子さんですが、以前、私が土井さんの後援会の一つに入っていた頃、五島さんがやっておられるアジアの女たちの会という通信を送ってきて、入会を勧誘してきました。この会の関係者の、松井やよりさんという方が、フィリピン人女性と日本人男性との混血児の父親探しの会をやっておられて、私はこちらに共感して入会しました。通信に、ODA反対とかあまりに書いてあるのでちょっと違うと思い、退会し、「0041」電話したら父親のいない混血児に援助するというので、それだけにしてもらいました。辻元さんが参院選神奈川選挙区に公認した「(ODAを一方的に批判する)ジュビリー」の主催者は、夫が赤軍で逮捕されて降りましたが、松井さんが主催された「女性戦犯法廷」も、日本人が日本人だけを中心に裁くような法廷を開催している、日本軍の従軍慰安婦のことだけ問題にしているように感じるのは、私だけでしょうか?従軍慰安婦のことを教科書で隠すべきではありませんが、それなら、ソ連侵攻での、戦後すぐあるいは沖縄での米進駐軍の、強姦・婦女暴行のことも書けてこそ、本当に女性が強くなったと言えるというのは、理想論でしょうか?

 海外NGO,NPOが国際会議に出席するのは大賛成ですが、役員名簿や会計報告などで、会の素性は明らかにしておくべきです。長期にわたる海外ボランティアなど、ODAや海外協力隊、学術研究でもないと、そう簡単にできるようには思いません。ODAをやっているゼネコンの同窓生に聞いても、それほど儲からない、つきあいで継続している事業だそうです。日本赤軍がやっていたピースボートも、中東情報やイラク情報(国連の経済制裁が子供の死亡率を上げている)、北朝鮮情報(米とモミは送っても農業指導、洪水対策は援助していない)など提供して有意義な側面もありますが、国際会議で戦後補償を発言するならテロを反省しないとフェアじゃない。(左右双方からの参考サイト)

アジア太平洋資料センター http://www.jinkennews.com/news12.htm

国民新聞      http://www.kit.hi-ho.ne.jp/kokumin-shinbun/130311matsui-yayori.html

■白川さんとのリンク張り忘れ裁判顛末

 白川さんは、雑誌やスポーツ紙に、選挙期間中のホームページ更新について総務省と喧嘩をし、音声で更新したと書かれています。

 私のページへのリンク外しについても、このことが選挙結果にかなり影響したと掲示板に書いたりマスコミからの取材時に答えて下さいと、京都地裁に裁判を起こして求めていました。ただ、順位には影響したかも知れませんが、得票数へ桁違いに影響したということはないでしょう。

 意外にも、2002年3月27日、京都地裁初公判に白川さんがお見えになり、辻元さんのことが話題になると突如傍聴者を締め出し、次のお詫び文で和解となりました。

 なお、他の圧力で党の方針を変えるような自分ではない、選挙中でもリンクくらいは違反でないはず、事務の手違い思い違いでも党首の責任は認める、自分のサイトには支援者との関係で書きたくない、ドクター中松氏を公認しなかったのは先に公認した宮崎氏と一緒にやりたくないためでなく、中松氏が選挙費用自分持ちはイヤだと言ったため、とのことでした。

2001年7月に行われた参議院議員通常選挙に新党・自由と希望が選挙に臨んだ際、党のWebサイト(ホームページ)の候補者の紹介欄において、Webサイトを開設している候補者についてはこれを紹介しリンクを張ったにも関わらず、安東尚美さんについては紹介およびリンクを張りませんでした。これは私が安東さんのWebサイトの存在を知らなかったために起こったことであり、誠に申し訳なく思っております。安東さんはご自身のWebサイトをリンクするように党の事務局に何度か申し入れたにもかかわらず、これを適切に処理されなかったため、最後まで是正されなかったことは誠に遺憾であります。事務局体制の不備であり、その責任は私にあります。

 党のWebサイトに選挙期間中多数のアクセスがあったことから判断して、Webサイトがリンクされなかったことは安東さんの個人票の得票にかなり影響したと思います。安東さんは活発な行動によって京都大阪の党の底上げに大きな貢献をされたにもかかわらず、党のWebサイトにリンクを張られなかったため安東さんの個人票の確保に党として十分貢献できなかったことは誠に遺憾であり、心からお詫びいたします。

              2002年3月27日

          新党・自由と希望代表 白川勝彦

 以上、月刊誌「政界ポリティコ」1月号と4月号に大筋が掲載されました。

 

★お陰様で、2003年5月、流域調整室を京都府にNPO登録することができました。行事に対して国土交通省や京都府、地元市町村の後援を得て地球村の活動としても連携し参加者を広げること、APEC技術者登録をし国際協力事業団など海外業務を含む建設コンサルタントの本職に戻ること、学位を取り大学講師をしたり、国土問題研究会の調査能力を高めたりすること、などに取り組んでいきたいと思います。

 

●BACK●INDEX●

(p@)いつか読みたいけど長くて読めないので保存。。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー