frame_decoration
外伝 2章 戯曲「ロンドンの夏」


――オレンジとレモン
セント・クレメントの鐘が鳴る

お前に5ファージングの貸しがある
セント・マーチンの鐘が鳴る――

 なめらかなテノールの歌声が聞こえる。伊丹が膝の上の人形を撫でながら、独りきりの職員室で歌っていた。

――ベッドに誘う蝋燭きたぞ
処刑人が お前の首をちょん斬るぞ――

 歌い終えると伊丹はニヤリと笑って人形の首に優しく手刀を当てた。
「また、あの鐘の音を聞くことになるのかな?」
 そしてまた「オレンジとレモン」の歌をはじめから歌い出した。





「ちょうどいいところに。お腹が空いてるんです。どちらでもいいので、何か食べ物をくれませんか」
 理由はわからないが、なぜか不気味な空気を纏う謎の初対面の人物に突如食物を要求され、をm310とミハエルは顔を見合わせた。
「えっと……」
 m310はとっさにブレザーのポケットに手を突っ込んだ。小さな箱の角が手のひらに軽く刺さった。
「これでよければ」
 まだ半分ほど中身の残ったキャラメルの箱を差し出す。学ランの人物は受け取ると、なぜか箱ごと口の中に放り込んだ。
「え!」
 そしてくっちゃくっちゃと紙と砂糖が混じり合う異様なノイズを口から発しながらキャラメルと箱を飲み下してしまった。
「斬新なお味ですね」
「だろうね!」
 斬新な食事風景に鳥肌を立てながらもm310は斬新な青年を観察した。学ランを着ているが、どことなく隣に立つミハエルが来ているものとは色味もデザインも違っていた。
「君は……ここの学園の生徒ではないの?」
 歯に挟まったパルプを爪でほじりながら青年は答えた。
「僕は学園でも生徒でもありません、綾瀬祐二とお呼びください」
「もしかして他校生なのかな? ここへは何をしにきたの?」
 m310はちょいちょい首をかしげながらも噛み合わない会話を無理矢理続行する。綾瀬はしばらく唸ると言った。
「呼ばれたので、ここへやってきました」
「呼ばれた? 誰に?」
 ようやく挟まったパルプを引き抜くと、綾瀬の腹が盛大な音を立てた。
「……まだ、お腹すいてるんだね」
 m310は歩き出しながら綾瀬に手で着いてくるように合図した。
「まだあいてるかわからないけど購買、案内するよ」
 しかしミハエルはその手を握り下ろさせた。
「どうしたの?」
 その新緑色の瞳が警戒心に尖って綾瀬をにらむ。
「知らない人をホイホイ学園に入れちゃいけない。それに……」
 そして肩に頬を寄せ囁いた。
「なんだか嫌な感じがするんだけど、君は感じないの」
 あからさまな敵意を意に介する様子もなく綾瀬はぼんやりと立っている。m310は戸惑いながらも頷く。
「確かに感じるし、だいぶ変な人だとは思うけど……」
 困った顔で、ミハエルと綾瀬を交互に眺めた。
「学校の中に彼を呼んだ人がいるなら、その人に会えるまで面倒みてあげても」
「こんな時間に? もし本当なら随分不親切な待ち人じゃないか。ところで、君の兄さんは?」
 m310は、顔にこつんと豆があたった鳩のような顔をした。




 一方、伊丹を引き連れた学級委員は教室へと向かいながらブツブツと独り言とも伊丹に話しかけているともつかない調子で考えを巡らせていた。
「文化祭の出し物どうすっかなー。クラスの連中がどんな案を出してくれるかにもよるけどなー。去年はお化け屋敷したっけな。なかなか面白かったぞー」
 学級委員はちらりと伊丹を振り返ってニヤリと笑った。
「お化け屋敷なら、その辛気くさい顔が人生初めて役に立ちそうだな?」
 伊丹はむっとした顔で学級委員をにらんだだけで何も言わなかった。
「なんだ、辛気くさいなんて言われるのは心外か?」
「別に」
 そしてそっぽをむいた。
「言いたいことがあるなら言えよな、学級委員様は心配してるんだぞ、ただでさえ辛気くさい上にいじられ要素をたんまり抱えた伊丹君が、陰でこっそりいじめられてるんじゃないかってな」
「心にもないことを」
 とりつく島のない伊丹の態度に大仰に肩をすくめると、学級委員は何かを察知したのか俄に走り出し、廊下の曲がり角からふらりと現れた生徒にアイアンクローをかけた。
「滅ゥ! お前も学級会議をサボるつもりか! そうであろうがなかろうがさっさと教室に戻れ!」
「ひゃあああ!」
 突然顔面をわしづかみにされ、滅がわたわたと情けない声を上げる。
「えっとね! えっとね! サボるために教室を抜け出したとかじゃないんだよ! あのね、ちょっと用事があってね! だから許して!」
「用事の種類によって罪状ポイントは変動し、それに伴い処刑方法も分岐する」
 ちなみに滅も伊丹と同じダブり組である。なので年齢も20歳を超えているらしいのだが、小心者で柔弱な性格のためか教室での扱いはご覧の通りである。
「あのね、文化祭の、出し物の、提案の、資料とかをね、用意してたんだよ」
「どれ?」
 学級委員が手の平を向けると、滅はおそるおそる紙束を差し出した。
「お芝居の、台本」
「ほう、芝居か」
 妙に年季の入った紙の束の表紙には、「ロンドンの夏」と素っ気ない筆使いで書かれていた。
「これをうちのクラスでやろうって?」
「うん。……ダメ?」
「やるかやらないかは学級会議で決まることだ」
 何気なく学級委員は紙束を裏返した。裏表紙には小さな文字で「心霊研究会所蔵」と書かれていた。学級委員の頭越しに覗き込んでいた伊丹がぼそりと呟く。
「心霊研究会か、確か僕が2年生のときに廃部になったはずだが」
「廃部になったよ」
 滅が片眼で伊丹を見上げる。
「でも、活動は今も続いてる」
「ふうん」
 声に全力で「興味ない」という色を載せて、伊丹はそれきり何も言わなかった。




オレンジとレモン
セント・クレメントの鐘が鳴る

お前に5ファージング貸しがある
セント・マーチンの鐘が鳴る

いつになったら返すんだ
オールド・ベイリーの鐘が鳴る

お金持ちになったらね
ショアディッチの鐘が鳴る

それ いつなのさ?
ステプニィの鐘が鳴る

知らねえや
ボウのおっきな鐘が鳴る

ベッドに誘う蝋燭きたぞ
処刑人が お前の首をちょん斬るぞ



+++

 登場キャラクター

 学級委員さん(Aクラス)
 伊丹(生徒)
 伊丹(教師)
 m310(生徒/1年)
 ミハエル(生徒/1年)
 綾瀬祐二(???)

 +++

 初稿 : 2015/4/29 藤堂雷

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年04月29日 07:38