橙色に輝いていた空に、夜の帳が少しずつ落とされていく。
明色と暗色のグラデーションは見事だったが、それを綺麗だと思えるような心の余裕は、m310にはなかった。
それどころか、あの深い藍色に呑みこまれてしまえば、もう二度と兄には会えないのではないか、という不安が彼女を支配する。
「……ミハエル。もう、暗くなってきたし……あとはぼくが一人で探すよ」
「……別にまだ、暗いって程ではないよ」
傍らの少年――ミハエルは常と変わらず不愛想に答えたが、不機嫌そうには見えなかった。しかし、このままずっと付き合わせるわけにもいかない。ミハエルの家族は、きっと彼を心配するだろうから。
m310の兄、m304の行きそうな所は全て回った。
しかし、何一つ手がかりを得られないまま、元いた場所に戻ってきてしまった。
どうすれば、いいのだろう。どうすれば。同じ思考ばかりがm310の頭を巡り続ける。
「……あのさ。突飛なことを言うけど」
静まり返る廊下に、ミハエルの声が僅かに響く。
「裏庭で植物の世話をしてると、よく噂話が聞こえてくるんだ。……この学園には七不思議があるとか、そういう」
「……信じてるの? ……ミハエルが?」
あまりにも彼に不釣合いな単語が出てきたことに、m310はぱちりと瞬きをする。
案の定、ミハエルは「まさか」とかぶりを振った。
「ただ、この学園は古いし、そういった話の元になった何かが隠されている、っていうのはあり得ない話とは言い切れないと思う。それと……」
「……m304兄さんは、そういったものに、面白半分に首を突っ込むようなタイプだ」
彼の言葉を引き取るようにしてm310が零した言は、すとん、と彼女の胸に収まった。
彼女の兄は、m304は、その七不思議に、あるいはその裏にある“何か”に興味をもったのではないか?
そしてそのまま、その“何か”に巻き込まれた――。
――凡そ、現実的ではない。
しかし――それ以外に、何があるというのだ。あの兄が、無防備に自分の荷物を放って消える訳など。
「ミハエル。その噂話について、詳しく聞いてない?」
「ほとんど聞き流してたし、興味がなかったからあまり覚えてないけど、一つは――」
ミハエルが唐突に言葉を切った。
――コツ、コツ、と、規則正しい音が徐々にその響きを強めてくる。
――誰だ。
m310は音の響く方角に、視線を這わす。ミハエルも同様だ。
――コツ、コツ。
暗い、人影がぼんやりと視界の先に揺らめいている。
……m304を探している間は、誰一人ともすれ違わなかった。
――コツ、コツ。
部活動や委員会の時間もとうに終わりを告げている今、残っているとすれば教師や警備員位のはずだ。
しかし――眼前に迫る、全身を黒に包み込まれたような青年は詰襟の制服を着ている。
――コツ、コツン。
m310の肌が警戒で僅かに粟立つ。隣からも俄かに緊張感が伝わってくるが、目の前にいる詰襟の――眼鏡の青年は、その空気を全く意に介さず、
「――ちょうどいいところに。お腹が空いてるんです。どちらでもいいので、何か食べ物をくれませんか」
淡々と言葉を投げかけてきた。
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登場キャラクター
m310(生徒/1年)
ミハエル(生徒/1年)
綾瀬祐二(???)
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初稿 : 2015/3/29 朝霞
最終更新:2015年03月29日 10:31