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創価学会と公明党の問題点

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匿名ユーザー

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創価学会員の思考停止状態

結局、創価学会、公明党の問題点はどこにあるのか?という問いに対する答えは、学会に盲従する信者を作り出すシステムにあるということです。集めた会員にこのシステムで学会に忠実な兵隊を作り出し、選挙に財務に学会のために尽くしてもらいます。

このシステムを簡単に説明すると、学会に対して仏罰、功徳といった言葉によるアメとムチを使いこなし、疑問を持つ暇すら与えないくらいの活動付けにすることで、周囲の学会員との間に集団心理も手助けして、会員は学会が完全に正しいと思い込んでしまいます。そこに、権威付けをされた池田氏を学会の正当性の象徴となるように指導します。聖教新聞の池田氏の勲章受賞等の内容とは池田氏の権威付け、また、竹入氏などを裏切り者呼ばわりし過剰な批判をすることは、学会内部の引き締めにつながります。つまりはシステムの一環なのです。学会員が疑問を持たなくなった後は、選挙、財務、聖教・・宿命転換だ!功徳をいただくため・・池田先生のために・・学会の・・頑張って活動するぞ!!となります。こうなった会員は完全に思考停止しています。つまり、客観的に学会や自分達を批判できません。この人たちに池田先生の批判などもってのほか、口をそろえて”池田先生は悪くない”と考える学会に忠実な兵隊が出来上がり、財務に布教活動、集票活動に頑張ります。

全ての会員が上の状態とは言いませんが、このために学会内部での学会批判などはもってのほかなので、従って、学会に自浄作用は期待できません。

そもそも、宗教団体なのに宗教活動よりも政治活動を頑張っていること自体おかしいですね。

創価学会の教育機関について

上の項目において、選挙活動や財務を率先して行ういわゆる”兵隊”について書きました。学会には兵隊がいれば、その兵隊を指揮、統率する仕官もいます。幹部や信濃町の官僚がそれに該当します。

”創価”の名前を冠する学校は幼稚園から大学まで日本各地に存在します。また、これらの学校に通う学生、生徒達はほとんどは学会員です。学会内部においても、やはり創価系の学校を卒業していると箔がつき、より上の役職に就きやすくなります。特に創価大学においては、学生の中には東大を合格しておきながら敢えて創価大学へ入学する学生もいます。創価大学は毎年官僚や弁護士を多数輩出していますが、その大部分はこういった優秀な学生です。この学生達が国家の内部へと食い込んで行ったり、信濃町の官僚として君臨しています。また、公明党の議員の経歴を見てみても創価大を卒業した議員も数多くいます。創価系の教育機関は、まさに学会の仕官養成所という言い方がぴったりです。しかし、不思議なことに、創価大学には宗教系の学部がありません。自分達の宗教の歴史くらい教えたらいいのに変ですね。

特定の宗教団体と特定の政治団体の結びつき

公明党において、役職を決定する際には代表者を選ぶための選挙というものがありません。これは一体何を意味しているのでしょうか?党内の意見がしっかりと一枚板でまとまっているために、代表者や役職を選ぶ必要がないのでしょうか?否、公明党ほど政策や主義主張がころころと変わる政党はありません。この政党としての態度ならば、かの共産党のほうがずいぶんましに感じます。盗聴法やイラクへの自衛隊派兵など、それまでの主張を180度転換しています。やはり鶴の一声で決定されているのかな?しかし、このような政党でも支持者が離れないどころか、あれだけ熱心に公明党を支持しているにも関わらずろくに批判すらしないことに対しては、あいた口がふさがりません。そして選挙があるたびに公明党を宜しくお願いします・・まさに愚民の代表というべきか、会員をそのようにもって行く学会のシステムに問題があるというべきか・・いづれにせよ、議員として立候補するのであれば公明党が一番ラクなことは確かでしょうね。さらに、公明党議員は創価学会を批判できません。もし批判しようものなら次の選挙での学会員の票が減るのはもちろん、竹入氏や矢野氏、龍氏のように聖教新聞4面で叩かれてしまいますから。聖教新聞4面の座談会には、学会幹部のみならず、公明議員への見せしめ及び、内部の引き締めという側面もあります。

また、このような体質の政党が国政に参加していることに危惧をおぼえます。

選挙活動は学会活動における目玉です。この活動がかなりのウェイトを占めます。学会にしてみたら、会員に最も頑張って欲しい活動であることは確かでしょう。

選挙活動になぜ熱中してしまうかというと、財務の項で説明していることと同様に、功徳や福運といった言葉や集団心理、そして公明党は素晴らしい政党だということを頭ごなしに信じさせるということからきます。学会において”F票一票は一人折伏するのに等しい功徳が得られる”といった言葉があります。また、選挙活動を行うと福運がつくと言い、その根拠には公明党は池田先生が作られた日蓮仏法を体現する素晴らしい政党だからだと畳み掛けることで、会員は選挙活動をすることに対して筋が通ってように感じてしまい、選挙活動に没頭するようになります。こうして、公明党、学会のために働く兵隊が出来上がります。しかし、一見筋が通ってそうに思えますが、実際は日蓮仏法を体現したら政教一致で憲法違反になりますし、そもそも、宗教という絶対的な価値観が、特に現在の日本のような自由主義の法治国家においては、宗教が妥協の産物とも言われる政治の世界に生かされるとは到底思えません。歴史を鳥瞰すれば明らかであるように、宗教はときの権力者達によって戦争に利用されてきました。戦争を行うときには、神の名の下で自国民を団結させることができるので非常に便利であり、それは第二次世界大戦等を見れば明らかです。そのときの教訓、戒めからの政教分離でもあります。

さらに、手弁当持参で必死で選挙活動をする学会員自体、応援している候補者の政策等を理解していない人が多く、従って自身が支持する政党の批判すらできず、ただ学会の幹部の指示に従って公明党を支持しているのが現状です。

このような宗教上の理由で選挙活動をする人たちが大半である政治のあり方、有権者、支持者のあり方、また特定の宗教団体が支持母体である政党のあり方はこれでよいのでしょうか?公明党自体も池田氏の発言や行動などから、池田氏と極めて近い関係にあるように見受けられますが、このような政党が、国政の場で我々日本の国益を追求することができるのでしょうか? また、一国民、一有権者としてこの公明党のあり方をしっかりと見つめ、議論していく必要があるのではないでしょうか?何よりも、我々一般人にしてみたら、日々の生活に日蓮仏法など必要なく、またF票活動も迷惑以外の何者でもありません。

これらのことから、公明党の存在は日本の将来すら危ぶまれる可能性を孕んでいるのではないかと危惧します。


鶴のタブー

大体、以上が学会及び公明党のシステムについての説明でしたが、極めつけはマスコミに対する影響力です。一般には鶴のタブー(鶴とは日蓮正宗時代、学会の仏壇には鶴のマークが描かれていたことに由来)と呼ばれています。その詳細は以下の通りです。

聖教新聞の現在の出版数は550万部で公明新聞は200万部です。 これらの新聞の印刷は大手新聞社の印刷会社に委託されており、新聞各社に学会の出版物の広告を載せているので新聞社にとっては大スポンサー様にあります。 また、新聞社とテレビ局はグループ関係にあるので、グループ全体で学会批判なんてできませんよね。 従って聖教新聞の発行部数が増えると学会の収入が増えるのみではなく、メディアからの批判も少なくなるという一石二鳥の効果があります。学会員が聖教新聞の啓蒙に励んでいる裏にはこのようなからくりも存在しています。

NHKに関してはNHKの予算を握っている与党には公明党がいます。この状態で公平な報道ができるのでしょうか?

今現在、学会を批判しているメディアはこれらの金の流れに関係の無い週刊誌のみです。後は、共産党の”赤旗”及び対立する宗教団体の機関紙、反学会ジャーナリストがあげられます。

以上が大まかな創価学会及び公明党のシステム及び問題点です。ここで大事なことは、公明党を批判し、その影響力を国政の場から遠ざけることのみならず、我々一人一人が賢い有権者であるべきということです。政治家を選ぶのは自分達一人一人です。その政治家が日本の将来を決めます。政治が悪いとはすなわち有権者の民度が低いと言わざるを得ません。このメッセージは別にどこどこの政党に投票して下さいという性質のものではなく、我々みんなでよりよい日本を作っていこうというものです。そのために、しっかりとした政党及び政治家を選んでいきましょう。

また、私はここで創価学会について批判しましたが、学会員が周りに迷惑をかけずに宗教活動のみを行っていれば別に何も言いません。しかし、現に迷惑行為が看過できないくらい表面化しております。この迷惑行為は、例えば創価学会へのしつこい勧誘行為は自分自身に対する修行であるなど、創価学会の教義に基づいて行われているように見受けられます。結婚や葬式でトラブルを起こしているのに創価学会は正しい仏法であるなんてどう考えてもおかしいですよね。この状態では現社会と学会が、うまく共存できているとは言いがたいです。従って、学会及び学会員は自身の教義を見つめなおすべきであると思います。

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