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差別

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差別 04/05/02

  残念ながら差別は絶対になくならない。

  そもそも何故皆が皆同じでなければならないのか。同じでなければならないとする考え方何時何処で誰に吹き込まれたのか。ねえ貴方、完全に同一思考回路・同一部品を以って作動するロボットの群れを想像出来ますか。そこに差別はないかもしれないが、同時にそこには人間性もない。またロボットであったとしても僅かな部品の違いや故障などが差別の対象となる可能性を否定出来るかね。

  例えば何かの製造工場で不良品を外く作業は不良品に対する差別ではないのかい?人を不良品として外くように扱うことは止めるべきだという考え方は淘汰の思想と真っ向から対立するものだ。人の命を軽視するわけではないが、植林や園芸の世界で間引きを行うことはより頑丈な固体を育てる為と理解していながらも、それを人に応用しないのは悪平等に毒されているのではないか。

  戦後日本に於ける不自然なまでの横並び教育が生んだ弊害は全体の矮小化を促進した。その結果僅かな異能の者とそれ以外の者とに隔てられ、弾力性を失った日本に失望して世界に飛び出す者が増えた。人の心の牙を抜くロボトミー教育を甘受するのも情けない話なのだが、牙を抜く教育をすることで抜かれまいと必死で抵抗する者だけが高みへ飛び出すことになる。これは早い話が新入社員を大量に採用して扱き、残った者が戦力となるやり方と同じことになる。どこかの会社を辞めてもまた別のどこかがあればよいし、無理を言わなければどうにかなるものだ。しかし教育の初期段階で牙を抜かれて行き場を無くした者はその後どうなるか。

  淘汰の思想を拒否して横並びの思想を選択した結果、横並びの者を淘汰することになってしまうのではないかと思うのだ。淘汰の思想とは多様性があってこそ活きるものであるから、もしこの先多様性を認める社会を目指すならば、淘汰の思想を受け入れざるを得ないのだ。多様性を拒否して完全なる横並びの社会を目指すならば、そこは個性を圧殺する恐るべき全体主義の闇だ。

  また多数決とは、一見民主主義に思えるが、実は民主主義ではなく少数派を封ずる全体主義なのであって、全体主義とは横並びであるから前や後ろに列を乱した者が虐げられる。

  民主主義も社会主義も多様化社会も横並び社会もどんな世界だって差別がなくなることはない。差別止めますか、人間止めますか。違う。差別を止めて人間止めますか。差別の存在を認めて人間であり続けますか。

  「差別をされる側の気持ちになってみろ」冗談言うな。我々は皆誰かを差別しつつ、皆誰かに差別されながら生きているんだ。差別されることが嫌ならば差別する側の世界へ登るか、安易に差別出来る世界に逃げればいいさ。「その場に踏み止まって戦う」とは威勢がよいが、それは単に貴方が成長しないだけじゃないのか。
 
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LAST UPDATED 2024-05-06 04:51:09 (Mon)
 
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