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小話「パナケアの矢 後編」

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十二年前:第二教区「カーネンバルグの反乱」
下級貴族であったメッテルニヒ・カーネンバーグが、失われた大陸法王庁からの書簡「勅令十七号」を領内で発見した、と公言した事に始まる大規模な内乱である。
メッテルニヒは、自分の祖父が件の勅許状によって第二教区内の広大な土地の統治権を大陸法王庁から委譲されていた、と称して、多数の商人や貴族、そして犯罪組織まで巻き込み、「反乱軍」を組織した。
「勅令十七号」こと「失われた勅令状」に対し、法王庁の対応が遅れる中、メッテルニヒは「新領主」を名乗ると、「反乱軍」を率い「旧領主」エンドレ・ナザル伯を「討伐」した。
その後、メッテルニッヒが「事故死」するまでの三ヶ月、第二教区は「黄昏の時代」に逆戻りしたかのような混乱が渦巻いた。


「すまない、祈りの最中だ。静かにしてくれるか?」
ロデルの砦の隅に建てられた礼拝堂は、臨時の物置であるはずだった。
明日に迫った「反乱軍」との戦に備え浮き足立つ砦に忍びこんだマルガレーテは、その青年に出会った。
両壁に、かき集められた資材が堆く詰まれた祭壇からに、その青年は祈りを捧げていた。
「この砦に逃げ込んだ民間人か?君も、祈りにきたのか?」
「前半分は大体合っているわ。後ろ半分は違うけど」
青年に敵意がない事を確認すると、マルガレーテは友達と話すような口調で答えた。
本当は前半分も違う。
正しくは、「反乱軍が一ヶ月以上に渡り探している旧領主エンドレ・ナザルの娘」だ。
自分を捕まえてメッテルニッヒに差し出せば、多額の報奨金が手に入る。
「そうか。ならば君の分までもう一度祈ろう。」
穏やかな笑みを浮かべた後、青年は再び祭壇に向かい膝をつき祈り始めた。
その広い背中を、マルガレーテは呆気にとられたように見つめた。
幼少時代から、欲と野心をもつ上流階級の大人たちを見てきたマルガレーテには、その心の動きが良く分った。
いくらでも作れる甘言、偽りの笑顔の裏側に潜む、その本性を感じることが出来た。
だから、城を「反乱軍」に落とされた一ヶ月前のあの夜も、ただ一人逃げ出す事が出来たと思っている。
ただ、この青年には裏を感じることが出来なかった。
その事が逆にマルガレーテを不安にさせ、彼女から青年に声をかけさせた。
「いくら祈ったところで無駄よ。明日の戦いは負けに決まっているわ。反乱軍の数は二千、この砦に立てこもった数は農兵を合わせても三百。法王庁からの援軍は、大幅に遅れている。・・・この砦は明日の日が沈む頃には、反乱軍の手に落ちわよ。」
青年はゆっくりと振り返った。
全身を覆う皮服の下に着込んだ鎖帷子が、ジャラリと音を立てる。
「どうかな?確かに歴史を紐解けば、戦場において小軍が大軍に勝利した事例は僅かだ。だが、勝利を収めなくとも、凌いだ時例は少なくは無い。天候、地の利、奇策、要因は様々だがな」
若い騎士は立ち上がり、礼拝堂にかけられた十字架を見上げた。
「それに、我々には負けるわけにはいかない理由がある。・・・この砦を突破されれば、戦線は大幅に後退し、次は収穫を間近に控えたこの第2教区の穀倉地帯が戦場になる。そうなればどちらが勝とうと、大規模な食料不足を免れる事はできない。今年の冬に餓死者が出るだろう。この戦闘に関わらない、多くの人たちが犠牲になる。」
マルガレーテは熱心に語る目の前の青年を、呆れたように見つめた。
「だから、他人のために戦おうっていうの?それこそ無駄よ。他人に何かしたところで、奪われることはあっても、与えられる事はない。・・・あなたも今夜中に逃げる準備をしたら?この鳥小屋みたいな礼拝堂でも、かき集めれば『人生にもっとも必要なもの』が出てくるかもしれないわよ?」
「‘信仰’か?」
「‘お金’よ」
マルガレーテが自分が背負った革袋の中身を見せると、若者の瞳が曇った。
「窃盗はよくない。教典にも‘汝、盗む事なかれ’とはっきり記されている。・・・君は年はいくつだ?」
「14よ」
「まだ若い。・・・金が必要と言うならば、これを持っていくがいい。」
ゆっくりと近づくと、腰帯にはさんだ緻密な装飾の施されたナイフをマルガレーテの手に握らせる。
その柄には、小さいがいくつかの宝石が家紋を中心に散りばめられている。
「売れば、いくらかの額にはなるだろう」
その瞳には、哀れみにも似た感情を感じ取ると、マルガレーテは青年を突き飛ばした。
「・・・冗談じゃないわ」
同時に、渡されたダガーを床へと落とす。
確かに自分の今置かれた環境は不幸かもしれない。
家族を殺され、土地を焼かれ、今も自分を捉えようとしている反乱軍の目から逃れ、辺境を這いずり回る生活を続けている。
それでも、不幸を呪うつもりはない。
今の自分は、自分の力でしっかりと生きているからだ。
だからこの青年の瞳は許せなかった。
哀れみの視線と、偽善の行為を受けるのは、許せなかった。
だから精一杯の侮蔑を込めて、青年に言ってやる。
「あなたは馬鹿よ。見ることもできない神様に祈るなんて」
「君は、神を見た事はないのか?」
「当たり前じゃない。神様なんて見たことも、触れた事も、感じた事もないわ」
吐き捨てるようなマルガレーテの言葉に、若者の瞳に朝日が差し込むように光が宿る。
「ならば、君に神を見せよう」
青年は祭壇の脇に架けられていた赤く染め抜かれた戦旗を手にとり、それを両手で頭上高く掲げた。
「君は、先程私に『明日の戦の負けは決まっている』と言ったな?」
「それが、何だっていうのよ?」
「私は明日この旗を背負い先陣に立つ。もし、『負けるはずの』明日の戦が終わったとき、我々が勝利し、この旗が戦場に残っていたら、それは私の祈りを聞き届けてくれた神の力だ。明日、必ず君にそれを感じさせる。」
青年は、視線を旗からマルガレーテに移した。
「だから、この旗が立っていたら、君は神を信じるんだ。」
思わず、引き込まれそうになる。
もはや、言葉の裏側を知るどころではない。
胸の奥が熱かった。
初めての経験だった。
「約束してくれ」
「・・・うん、分った」
青年に身を委ねるようにマルガレーテは頷いていた。
青年は満足したように旗を降ろすと、再び祭壇に向き直る。
「その代わり・・・」
青年が遠のくような気がしてマルガレーテは、思わず言葉を紡いだ。
自分は何を言おうとしているのだろう?
「キスしてよ」
「んん?」
少々間の抜けた声と共に青年が振り返る。
「男と女が‘約束’するなら、唇でするのが当然でしょう?」
ほんの冗談のつもりだった。
この年上のくせに、世間のことなど何も分っていない若者をからかってやるつもりだった。
恥をかかせてやるつもりだった。
本当に、それだけのつもりだった。
マルガレーテの小首をかしげながらの囁きに、青年は真顔で答える。
「すまない。心に決めた女性がいる。その人以外には口付けしないと、神に誓った。」
静かな声であったが、荒削りな力強さが込められていた。
その声が、マルガレーテの心を深く抉った。
「お前なんか!」
マルガレーテは怒鳴った。
抉られた心の傷から、何かが溢れ止まらなかった。
「お前なんか、死んでしまえ!何が神様だ!神様なんて、いないんだよ!」
そう叫ぶとマルガレーテは礼拝堂を飛び出し、夜の闇へと走りだした。


翌朝、戦場を避け第3教区へ繋がる街道をマルガレーテは歩いていた。
既に戦闘開始から数時間が経過しているはずだ。
―絶対に、見に行くものか
何度も胸のうちで繰り返したが、その度に青年の真摯な瞳が思い出した。
力強い輝きを放っていた、諦めという言葉とは程遠い瞳だった。
いつのまにかもと来た道を引き返していた。
―神様なんていない。アイツのことなんか、知るもんか
しかし、そう繰り返す度に、砦へと向うマルガレーテの足は徐々に速くなっていった。
やがて、雨が降り出した。
―ちょっとだけ、確認するだけだ。危険なら逃げればいい。
だが街道を抜け、昨夜出た砦の姿を確認すると、マルガレーテは自分を抑えることが出来なかった。
戦闘は早期に終結したのか、辺りは静かだった。
雨でぬかるんだ斜面に何度も足をとられ、転んだ。
三回転んだ後、背中の膨らんだ革袋がバランスを崩す原因になっている事に気づいて、捨てた。
泥まみれになりながら、夢中で砦に続く丘を駆け上がる。
胸の鼓動が抑えきれなくなり、マルガレーテは叫んだ。
「お願い、神様!」

「・・・嘘つき」
最前線となっていた場所で、泥と雨で汚れた紅い旗を見つけると、マルガレーテは敵味方の騎士達が折り重なる大地に両膝から崩れ落ちた。
「だから、言ったじゃない。神様なんて、いないんだって」
戦いは、反乱軍の後退という形で終結していた。
予想以上に砦の攻略に手間取っている間に、撤退を開始したらしい。
雨に濡れ、頬に張り付く髪がやけに重く感じられた。
永い夢を見ている気分だった。
今なら分る。
童話のように、眠り続ける自分を目覚めさせてくれるキスを、あの騎士がしてくれる事を、心の奥で願っていたのだ。
だが、その機会は永久に失われた。
―なぜなら
「神様なんて、いないんだ。・・・そうだ、私は神様なんて、絶対信じない!覚めない夢を見ながら、自分の力で生きていく!私は、自分の力で、自分が本当に見たい夢をみるんだ!誰もがうらむような、最高の夢を!」

 

―そうか、目の前にいる審問官は、‘アイツ’に似ているんだ。
戦いの中、マルガレーテは十二年前の亡霊の事を思い出していた。
「カーネンバルグの反乱」終結後、基礎だけは教わっていた錬金術を学び、「パナケアの矢」のメンバーとなったマルガレーテは、時折あの青年の事を思い出す事があった。
マルガレーテはそれを亡霊と呼んでいた。
亡霊は見えることがあっても、触れることは出来ない。
だが、あれから十二年の間、こんなにはっきりと思い出したのは初めてだった。
―ふふっ。結構かわいかったじゃないか、私も。

「坊やは異端審問官なんかより、誰か女の側にいてあげるほうが、向いているのかもしれないわね」
再び間合いをとると、マルガレーテは語りかけた。
雨はますます強くなり、その場にいる三人の上に平等に降り注いだ。
「何を言っている?」
油断無く銃を構えていたキールベインが問い返した。
「独り言よ。さあ、水門の決壊まで時間がないわよ。それまでに私を倒せるかしら?」
一息つくと、マルガレーテは白い手袋で覆われた両手で錬成印を描く。
「あなたは・・・」
「気をつけろキールベイン!でかいやつが来るぞ!」
一瞬、魅入られるように動きを止めたキールベインを、ザックが叱咤する。
「・・・神様は、いないのよ。例え誰が祈ろうともね」
小さく呟くと、両手に完成した錬成印を重ね合わせ、マルガレーテは術を発動させた。

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