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穢れの設定について確定
想いと穢れまとめ

議題
【穢れ】に関すること全て

投票箱にて、
A1.「穢れ」の設定について
A2.「穢れ」と「想い」の相関関係について
A3.ED、最終的な「穢れ」の落としどころ
をアンケート中。
以下、各案についての議論です。投票の参考に是非どうぞ。

A1「穢れ」の設定について
こちらは以前議論した【「穢れ」と「憑魔化」について】によく似ているので参考に
(以前の議論のため、すでに決定した設定と食い違う設定でアイデアがかかれていることがあります)
+ 「穢れ」と「憑魔化」について
  • 穢れが大量に付着して大変に穢れた状態になった人(物)が憑魔である(穢れ=憑魔)
  • 1)「穢れ」そのものが人間、天族や環境に悪影響を及ぼす とほぼ同義

+ 賛成派のアイデア、賛成意見
918 :真の名無し@転載は禁止:2015/03/23(月) 00:24:37 ID:jX84ovVk0
人間は『穢れ』というエネルギーを発する生体機能を持った生物

人間が生み出す穢れには、
憎しみや悲しみといった負の感情や、快楽殺人などの歪な感情から生み出される穢れ(『負の穢れ』と仮称)と、
嬉しさや楽しさといった正の感情や、他人を思いやったり愛したりといった尊い感情から生み出される穢れ(『正の穢れ』と仮称)
の2種類があり、これらは異なる作用を持つ。
人間は『負の穢れ』が溜まりすぎると憑魔となってしまう(疲れると病気になるみたいなもの)が、人間は『負の穢れ』を自浄する機能を持つので『負の穢れ』ばかりがたまってしまうことは少ない(正の穢れで負の穢れを相殺できたり、ヒト同士の思いやりの心によって浄化できるなど)

920 :真の名無し@転載は禁止:2015/03/23(月) 00:58:57 ID:8V7ZN8VI0
慿魔に関しては、自分的にはもうちょっとシンプルでもいいかと思います

つまり一定以上の穢れが蓄積して「ひどく汚れた」ものが慿魔であって、
「慿魔」という用語から何か別の生き物が憑いているようなイメージであるが
穢れたことによって悪い方向(破壊的な方向)に行動するようになった人間、或はモノという
定義でも不都合はないように思います

「天族」が人間から昇天して生まれ変わるという事例を考えるに、
人や物が「祈り(仮)」によって変化すると天族に、
穢れることによって慿魔になるといった関係で対応していると言ってもいいと思います
(天族が穢れることで慿魔となる事例もあるので、完全に対称なわけではない)

また、天族の発生(?)に関しては、古い神のような元々天族として存在しているものもいるが、
多くの場合「祈り(仮)」によって人や物が昇華されることで誕生すると考えられます
例えば多くの人の尊敬を集めた人物が神としてまつられることで天族となる事例。
あるいは人々が聖地と呼んで愛した土地や良き記憶の象徴に祈りが集まって
そこに守護天族が生じるなどといった場合があり得るわけです
これは慿魔の誕生にも対応していて、

例えば
「森」が存在した時、その「森」が清らかな祈りの場や
豊かな恵みの源として感謝され愛されるとその森を器とする天族が生じ、
逆に「不気味で恐ろしい人を寄せ付けない世界」としてイメージされ語られていると
恐怖によって穢れ森の慿魔(迷いの森みたいなものでしょう)とでもいうべき存在となってしまうわけです

932 :真の名無し@転載は禁止:2015/03/23(月) 14:06:58 ID:8V7ZN8VI0
自分の用語としては慿魔はどっちか言うと「穢れ=憑魔」のイメージです
自分説は「穢れ=病原体」「慿魔=重症患者」と置き換えて
伝染病のようにイメージしてもらえれば分かりやすいと思います

私が922で言うているのは「穢れ」は病原体であるので
人体から滲み出てるわけではなく
負の感情を持つと外からそれに引かれて寄ってくるということですね

962 :真の名無し@転載は禁止:2015/03/24(火) 15:03:17 ID:myEP0HOk0
【憑魔】
そもそもヒョウマってなんだっけ?
と思い覗いてみた単語集では
憑魔[現象]
穢れが蓄積した結果、あるものが魔物のように変化してしまったもの。
穢れが溜まれば、動物、人間、天族が憑魔になってしまう可能性がある。
通常、人には見えないが、ドラゴンなど、強力な憑魔は例外である。
ただ倒すだけでは穢れは消えず、やがて新たな憑魔が生まれる。
穢れを浄化して初めて憑魔を倒したといえる。
穢れを浄化されれば憑魔から元の存在に戻るのだが、例外も存在する。
例えば生き物が憑魔化して長い時間(その生き物にとっての寿命以上)が経過していた場合、
浄化されても肉体は死んでしまっているので、消滅する事が多い。
とのこと。
つまり本編設定では「穢れ=憑魔」より?
自己整理込みで語ったが、ヒョウマについては『真ゼスではどういう存在にするか』について今振り返ってるんだよね?天族とかと同様。
俺は『穢れに飲み込まれた・蓄積がキャパオーバーした姿をヒョウマと呼ぶ』なら「穢れ=憑魔」に賛成したいかなと思う。

  • 本来ならば穢れても憑魔にはならないのだが、何らかの外的要因で憑魔化してしまう(穢れ≠憑魔)
  • 2)「穢れ」そのものは環境や天族の害にはならない とほぼ同義
+ 賛成派のアイデア、賛成意見
558 :真の名無し@転載は禁止:2015/03/21(土) 11:33:32 ID:HU7tM8BQ0
「憑魔化」っていうシステム自体があの世界の問題の根源だと思う。
穢れがある意味自然なものである以上、いっそラスボスを「憑魔化」の原因とするのはどうかね?

あるいは憑魔と穢れをすっぱり分けて、
憑魔は穢れを糧に生きる天族に近い精神生命、穢れた人間や穢れを宿した物品に寄生してより多くの穢れを得たり同じ霊的存在である天族を喰らおうとする。
物品や動物の場合は憑魔が独自の意思で行動し、人間の場合は宿主の負の感情を増幅したり、天族に対する認識操作(天族は美味そう)で宿主の人間を誘導する。
憑魔達の目的は多くの穢れを集めてたり天族を喰らうことで力を溜め、実体を持って顕現する=ドラゴンになることであり、これを本能的に行っている。
また、天族と憑魔は非常に似た霊的存在・精神生命であり、天族が多量の穢れを宿してしまった場合、憑魔と同質の存在となり最終的には実体を持った怪物・ドラゴンに変異してしまう。
って具合に憑魔≒ゼロム的な存在、と出来たらわかりやすいと思ううんだが…

917 :真の名無し@転載は禁止:2015/03/23(月) 00:11:31 ID:LWb80WUA0
『穢れ』と『憑魔』は別物として考える。

ゼスティリアにおける『人間』は、何かしらの精神エネルギーを
発する生き物であり、怒りや憎しみが増幅した時や心が摩耗した時『穢れ』と呼ばれる精神エネルギーを、
逆に、喜びや勇気が増幅した時や心が満たされた時『祈り(仮)』と呼ばれる精神エネルギーを発する。
『穢れ』と『祈り(仮)』は相反するエネルギーで相殺し合う→『浄化』

『天族』は『人間』の『祈り(仮)』を糧にして生きる種族であり、お供え物などに関しては
食物そのものを食べるというよりも、供え物に込められた『人間』の『祈り(仮)』を食べているようなもの。
空気中に漂っている『祈り(仮)』で食いつなぐことも出来るが、力を思う存分ふるう事は難しくなる。
お腹は減る。
睡眠によって、疲労が回復するため、睡眠欲もある。
性欲については繁殖機能が無いためちょっと保留。
『祈り(仮)』と相反する『穢れ』は『天族』には毒になるため、人々に祀ってもらう事で恩恵を与え
『祈り(仮)』が生まれやすく、『穢れ』が生まれにくくなる『加護領域』を展開することが出来る。
物質干渉は出来るが実体はない。

『憑魔』は『人間』の『穢れ』を糧にして生きる種族であり、一定濃度以上の『穢れ』を放つ『人間』に憑くことで
効率よくエネルギーを摂取し、憑いた『人間』の精神状態をより『穢れ』を生み出しやすい方向にもっていく。
無機物や動物の『憑魔化』は、元々浄化の機能を持つ『人間』に憑くほどの力を持たない『憑魔』および、
手頃な所に『人間』も『天族』も居なくて妥協した『憑魔』が、存在と力を安定させるために憑いたもの。
『憑魔』は基本的に実体を持つモノに憑いた場合は、実体に馴染む形になるため、『憑魔化』した動物が言語を解することはない。

『天族』に『憑魔』が憑く場合、その場に『穢れ』が溜まっていることが前提となる。
そもそも『天族』は『人間』の生み出す『祈り(仮)』を吸収して生きているため、同じく『人間』の生み出す精神エネルギーの
『穢れ』も取り込んでしまいやすいため、場が穢れていると『穢れ』に染まり易い。
そして、『憑魔』は『穢れ』に染まった『天族』になら憑くことが出来る。
本来『憑魔』と『天族』はともに実体のない種族であるが、相反するエネルギーが反発し合い混ざることで、
実体化するほどの力を得る。それが【ドラゴン】である。
『天族』はその性質から穢れにくいものの、自浄機能のある人間と違い、
一度『穢れ』に染まり『憑魔』に憑かれると、自力での回復が難しい。

『憑魔』は元々の存在安定度は『天族』よりも劣るため、単体で彷徨っている際には『領域』を作ることは出来ないが、
『人間』や『天族』に憑いて力の強化と存在の安定を図ることで『穢れ』が生まれやすい『領域』を生み出すことが出来る。
基本的に『憑魔』は『人間』にとって害となることが多いが、『憑魔』は『人間』の心の鎧としての機能も果たすため、
一概に害悪とは言えない。


937 :真の名無し@転載は禁止:2015/03/23(月) 19:42:05 ID:EvUKl5Z20
そもそも『天族』という種族は存在しないのでは?

つまり『天族』とは、霊的存在の総称であろうということ

『天族』の対となるのは、人間ではなく『生物』

『生物』の中に、人や犬やゴキブリなど色々な種族がいるように、
『天族』の中にも色々な種族がいるんだ

ライラらとノルミンは同じ種族にはとても見えないが、実際、全然違う種族なんだ
霊的存在というのが共通しているだけで、人と犬くらいには別物と

憑魔というのも、穢れを好む性質を持つ天族の一種だ
それが人に憑く『憑魔化』という現象も、実は神衣の一形態なんだ

『天族』をひとつの種族として捉え、明確な特徴を見出そうとするのがそもそもの間違い
『天族』というのはもっと大雑把な概念であり、一概には言えないモノなんじゃないか

940 :真の名無し@転載は禁止:2015/03/23(月) 22:24:13 ID:LzmopytY0
  • 憑魔化は外的要因によるもの
(霊力もない凡人からも発生するものが、それだけで石とかを化け物に変える特殊な力を持つってのが想像しにくいよ)
という意見だよ



A2.「穢れ」と「想い」の相関関係について
1)「穢れ」と「想い」は互いに相殺する関係にある
+ 賛成派のアイデア、賛成意見、反対意見
166 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 02:31:44 ID:mOAPAsGA0
【穢れ】
地の底に潜む「神(禍の主)」が負の感情から来る「恨み」を信仰(祈り)とみなし
世界に送り出す呪いの力、人や物を慿魔に変えて世界を破壊する方向へ導く

【想い】【天族】
親愛、感謝、賛美などといった精神から呼びこまれる「清らかなるもの」、
「穢れ」と対になる存在で、穢れを相殺し浄化する作用を持つ
また「天族」にとっての滋養でもあり、
精霊(神)的存在であり自然力そのものである天族は
人間がその存在を信じて(意識して)祈る、あるいは祀ることによって
そこから生じる「想い」によって力を得て
自然や世界を美しい状態に保つ機能を持っている(→加護領域)

192 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 00:07:40 ID:UHkZpUDI0
【穢れ】
私はどうも「穢れ」は単に人間の精神状態の悪化の程度を表すメーター(指標)みたいに思っているので
モノとしての「穢れ」になんか特殊な意味を見て取るのはなんか妙な気がしちまうんですよね
肝心なのは人間の心の状態が健康であるか否かであってものとしての穢れが在るか無しかや
「穢れ」がなくてはならないのかあってはならないのかは本質的な問題ではない気がするの

要は「穢れ」と「慿魔」自体は毒と病気みたいなものなんだから無理に
「穢れ」の存在意義を与えるような設定盛り込まなくてもいいんじゃないかなっていうのが
心の方のケアと別に「穢れ」の作用のこと言いだしてしまうとなんか二重構造というか
逆に心の問題を解決することと穢れの転換とどっちが大事なんだ?みたいにならんかしら
(ありていに言えばシナリオ(脚本)が回りくどくなりそう)

193 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 00:17:40 ID:pI2O9vac0
→192
【穢れ】【想い】
穢れと憑魔が毒や病原菌だとすると、想いが症状を抑える薬って感じかな?
現状では対処療法でしかなく、元凶の毒や病原菌を根絶する事が必要ってイメージになるかな

195 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 01:00:30 ID:5A6vIXG.0
「穢れはあらゆる感情から生まれるが、感情の種類によって生まれる穢れも別の性質を示す」ことから、
192の『穢れ』は『想い』によって相殺される(病原菌と薬の関係)っていうのは俺としては違和感があるな。


2)「穢れ」と「想い」は互いに相転換する
+ 賛成派のアイデア、賛成意見、反対意見
156 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 00:42:04 ID:ArJSf1Z20
155 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 00:36:58 ID:93bi4FWI0
ところで想いにはデメリット皆無でいいのかな
行き過ぎた想いは害為す穢れに代わるみたいな感じ?
反面、ヒトを悼むことで生まれてしまった小さな穢れも、
その心持次第では想いに昇華できる的なサイクルがあってもいいのかも

156 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 00:42:04 ID:ArJSf1Z20
→155
個人的には穢れと想いは相互変換が出来ると思うんだ
行き過ぎた想いはちょっとしたきっかけで穢れに変わるとか、例えば一生懸命必死に努力していた事がひとつの事故で大きな絶望に変わるとか、逆に絶望に打ちひしがれていた時に救いの手が差し伸べられたら希望とかの想いに変わるとかさ
両方を受け入れることで清濁合わせ持ち、更なる力へと昇華するって展開をやりたい

157 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 00:44:01 ID:93bi4FWI0
→156
いいね~
絶望に打ちひしがれたヒトに手を差し伸べ、
その絶望は『消す』んでなく、その絶望を受け入れた上で希望へジャンプ!!!
みたいな展開は是非欲しいわ 清濁併せ持ちってのも是非推したいポイントだね

161 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 01:00:01 ID:GgN8BNYA0
→156
その案好きだなー>穢れと想いは相互変換が出来る

「穢れ」の浄化は、浄化の力など特別な力に頼らなくてもヒトの「想い」でできる
(スレイ達の時代にはこの事実は忘れ去られてしまっているけど、スレイ達が旅する中で気付く)
っていう方向に持っていきたかったんだけど、
じゃあ「想い」で「穢れ」を「相殺」とすると、
なんかそれは違和感というか、目指してるものと違う感があったんだよな
(感覚的なことなので、上手く説明できない。すまん)
そっか、相互変換かー

162 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 01:26:46 ID:93bi4FWI0
→161
相殺 がなんか違うってのは凄く解る
清濁あわせ持って、受け入れてこそヒトなんだっておとしどころにするなら少々噛み合わないしね
悲しいことも腹の立つこともあってもそれを無に返すんでなくて
一度まず飲み込んで、そこから立ち上がらないとな

171 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 10:16:47 ID:0VFu3wTA0
【穢れ】【想い】【浄化】【穢れの外的要因】【カノヌシ】【マオテラス】【導師の役目】【災禍のケンシュ】【クローズドダーク】【ラスボス】

『穢れ』と『想い』は共に感情に起因し外部に影響を与える霊的物質という、
基本的に同じ性質のものであって、互いに相殺するものではない。

『想い』はちょっとした切っ掛けで『穢れ』に反転しやすく、
また、『想い』は病的なまでに蓄積されていたとしても『穢れ』の蓄積と違い『憑魔化』という分かりやすい状態にならないため、
『浄化』すべき危険な状況にあるかが分かりにくく、対処が遅れてしまう。
抱いていた『想い』が強ければ強いほど『穢れ』た時に周囲に及ぼす影響は大きい。(まど○ギの魔○化みたいなイメージ)

『想い』は外部に好影響をもたらす反面、
それを生み出すもととなるヒトの心には負荷がかかる。
そのため、ほどほどの『想い』は本人にも周囲にも好影響を与えるが、行き過ぎた『想い』はヒトの心を壊す。
ただし、これ(心を壊す)は一人が100の『想い』を生み出しているような状況に限り、
10人が10の『想い』を生み出しているような状況では起こらない。

『穢れ』は外に吐き出すということで、それを生み出す本人の心を守るという機能があるが、その反面、
生み出された『穢れ』は蓄積すると外部に害をもたらし、
行き過ぎた『穢れ』は心を守る機能も行き過ぎ心を覆い隠してしまい(『憑魔化』)、全ての事象を色眼鏡で見ている状態になり妄執が加速し『穢れ』を生み出す量が多くなり、負のスパイラルに落ちる。

また、『穢れ』や『憑魔化』の要因は負の感情を抱くといった一つだけでなく、「心の疲弊」も原因の一つであり、
作中でスレイが「堅苦しさが危ない」「あまり気負いするな」などと言われるのは「心の疲弊」を危惧しているから。

※フォートンは「国民を守る」や「責任感」などの『想い』が抱えきれなくなり「反転」した結果の『憑魔化』のため、
『浄化』を拒み、自己を否定するスレイ達との邂逅により『想い』が更に生み出され心が壊れてしまったと考える。
→『想い』が反転した『憑魔』は『浄化』しにくい

『浄化』は『穢れ』も『想い』もゼロの状態に戻す、白紙の状態に 戻 す 力 であって、
浄化した対象が発生源である場合、浄化した後の『心の救済』が重要である。

190 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 23:50:41 ID:GgN8BNYA0
【穢れ】【想い】【浄化】
今更だが171の『穢れ』の設定がすっげえ理想的です
(少量の『穢れ』には益がある点、行きすぎた『想い』は危ういこともある点、『穢れ』と『想い』は相互変換する点)

あと、これを踏まえて考えたのは
  • ライラやマオテラスの持つ「浄化」の力は、『穢れ』自体を消してしまうもの
  • スレイ達が旅の中で気付く「浄化」は、思いやりや愛などで『穢れ』を『想い』に変換するもの
 (これは本来、人間や天族が無意識に行っているもの→ヒトの心で救えるんだ!と持ってきたい)

195 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 01:00:30 ID:5A6vIXG.0
あと、俺は171の考えだから、「誰か穢れない・『想い』が強い人間に押し付けておけばオッケー!」
みたいな世界にはしたくなかったから『穢れ』にも『想い』にもメリットとデメリットが欲しかったのと、
心という難しい問題だから、何か一つ潰せば万事解決!ではなく、生きている全ての生き物が
沢山考えて、お互いを、自身の素直な気持ちを認めることで、
健全な世にして行こうという積み重ねが欲しかった。

228 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 23:02:03 ID:rH8lVv7Q0
【穢れ】【想い】
基本的な考え方は214だが、223の言いたいこともわかるし納得も行く。
そこで想いと穢れは相互関係の考えを入れるのはどうだろうか
穢れは穢れのまま放置するとよいものではないけど、想いに昇華することができる。
また、人の気持ちが穢れとして出たことで、近しい人は「そんなに苦しんだんだね」とより思いやれる。
気持ちなんてのは本来見えるものじゃないからな
それが危険信号として出てくるのならば(大きな穢れは視覚化できるという設定を持ってきてるが)
近しい人親しい人大切に思ってる人はそれ相応の対応もできようよ
態度だけでは自分のつらさを出さなくて静かに壊れていく人もいるだろうから
まあそこで、実際に穢れに出さないほど隠すのが上手な人を話に組み込んでみたりすると、また話が広がるのではないかなと

3)穢れと想いは相殺することもあるし、相互変換することもあるとする
+ 賛成派のアイデア、賛成意見、反対意見
71 :真の名無し@転載は禁止:2015/03/30(月) 01:00:44 ID:WQYk7bn60
かなり独自アイデアが含まれるけど、正の穢れと負の穢れの成り立ちを考えてみた
穢れが外的要因からくるもので確定したから、その外的要因は何かって事で
負の穢れはカノヌシの呪いによって生み出され負の感情に結びつき、増大すると憑魔化を引き起こす
正の穢れは負の穢れに対抗手段としてマオテラスが正の感情へと結びつくものとして生み出されたもの(浄化)
ただし感情に結び付くため相互変換も可能であり、相殺することも出来るし、両方を合わせ持つ事も可能
負の穢れは負の感情、要するに恨みやら恐怖、憎しみとか一般的に悪いイメージのもの
正の穢れは正の感情、要するに前向きさや情熱や責任感とか基本的には良いイメージの物だけど、それのみでいくと純粋過ぎるが故に危険性もある

他は、1)2)を参照。
ただしこの案には、穢れと想いの扱いがご都合主義になり、定義があやふやになりそうという危惧もある。


A3.ED、最終的な「穢れ」の落としどころ
  • A1、A2にも密接に関わってくるので、そちらも参照ください)
1)「穢れ」をなくすことを最終目標にする
+ 賛成派のアイデア、賛成意見、反対意見
151 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/02(木) 23:54:29 ID:8VynrmCE0
【穢れ】【天族】【人間】【ラスボス】【エンディング】【五大神】【浄化】
事の発端はクローズドダークの時代
天族と人間の間で戦争が勃発
この時代の天族の長は先代五大神のカノヌシ達
本来は天族の認識が出来ていた人間だったが、戦争勃発によりカノヌシの領域により、天族に対する認識を阻害するという事を行う
これにより人間側が圧倒的劣勢に陥る
それらに憤りを感じた天族たちが反旗を翻し、人間側へと加担する
次第に天族側が劣勢となり、裏切った天族や人間に対し強い恨みを持ち、呪いをかける
この呪いの影響範囲がグリンウッド大陸全土であり、外界と断絶すう原因となっている

この呪いが後に『穢れ』と呼ばれるものになるが、対象を指定できず無差別にすべてのものに影響を与えることになった
戦争の真っ最中のため、あっという間に穢れが溜まりドラゴン化する天族や憑魔化する人間が多数発生し、混乱を極める
カノヌシ自身も自身の放った呪いで我を忘れ、大陸中に穢れを残したまま姿を消す
この後、戦争が終結した後、世界に充満した穢れを消す方法を模索し、マオテラが正の感情に結びつく『想い』により生まれる『浄化』という力で相殺出来るという対処方法を見出す
対処方法を見つけたマオテラスが次代の五大神として託される

ジークフリートはこの時代にドラゴン化した天族を正気に戻すため、親しい天族を『想い』を抱えた状態でドラゴンに撃ち込み意識だけでも正常化を促すためのものであったが、本来の用途は忘れられ、ただ力を撃ち出すための兵器としての使い方のみが残ってしまった

『穢れ』『想い』はどちらも『精神エネルギー』へと結びつく性質があり、カノヌシの呪いである『穢れ』は負の感情に結びつき、化物へと変貌したものが憑魔と呼ばれ、尊い心などに結びつく『想い』が浄化の力と呼ばれるようになった
カノヌシの呪いの核とも言えるものが存在し、それが非常に強い絶望や憎しみなどに結びつき、その核に取り憑かれた者が災禍の顕主となる

災禍の顕主の相手は天族だけでは力不足と分かり、導師という天族と人間との協力関係が結ばれる
それと同時に補助役として残り4人の五大神が選ばれる

マオテラスは導師の力を借り、浄化に尽力するが終わりが見えず、アスガード時代に入り人間の政争に巻き込まれる事になり疲弊していく
ハイランドとローランスに分裂した際に人間との協力関係に限界を感じたマオテラスは単独での浄化を試みるが更に疲弊していき、そこに現れたミケルと共にローランスを去る
しかしカムランの悲劇の際に大きなダメージを受け、災禍の顕主となったヘルダルフに捕まり利用されてしまう
マオテラスが捕まる理由は、暴走状態となっているカノヌシの呪いの核にとってマオテラスが非常に邪魔な存在であったため

そして時は流れて現代で、スレイが各地の遺跡を周り、カノヌシと穢れの発生原因、浄化の力の由来を探り当てる
マオテラスが見出した『想い』による浄化だけでなく『穢れ』を受け入れることで清濁合わせ持ち、さらなる浄化の力を発現出来ることを発見する
ヘルダルフと対峙する所は一緒
ヘルダルフを倒した後に出てきた黒いやつこそ穢れの元凶であるカノヌシの呪いの核で、それは旅の門を使いカースランドへと逃げる
マオテラスにスレイ達が調べた事の事実関係を確認し、ヘルダルフから旅の門への鍵を貰い、追いかけていく

カノヌシの本体はカースランドにいて、完全に穢れきってドラゴン化している
なんとか浄化することで、カノヌシは正気に戻り、スレイ達が説得
呪いを解くことで穢れも消滅し、天族の認識妨害も解ける

多少の混乱は発生するものの、天族信仰の残っていた地域やハイランド、ローランスの両国の尽力やスレイ達の尽力もあり、共存への道筋が見え始める
ある程度安定してきたところで、アリーシャに外界への調査命令が下され、スレイに同行を頼み、仲間たちも勢揃いし、『これが本当の世界!』でエンディング

200 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 04:05:27 ID:pI2O9vac0
今の世界の在り方じゃ駄目だから世界の構造まで変えてしまおうってのもテイルズじゃない?
エターニアだったり、シンフォニアだったり、ヴェスペリアだったり、あの辺は世界の根幹から作り変えてるし

201 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 06:42:52 ID:5A6vIXG.0
→200
「『穢れ』を生むという世界の仕組みを変えることは不可能」ってされていても、
「『穢れ』が生み出されない世界の仕組みに変える」という行為は、
「不可能だと言われている事を可能にしている」し、「今の構造ではだめだから世界の根幹から変えている」わけだから、この二つはこの話題に限定すれば同義だと思ってるよ。

163では「『穢れ』が生まれる世界構造を変えることは不可能」という定義があるから、
その発生源かつ世界の源である「カノヌシ」を消すという解決策はあり得ないとなっているけど、
カノヌシがいなくなることで、192定義の『穢れ』(つまりただの毒であり病原菌にあたるもの)が無くなるのだとしたら、
200,195でいうところの「テイルズらしさ」が発揮されれば、
「カノヌシがいなくても成り立つ世界を作る」
→不要なものはお掃除という本編的な発想になるんじゃないの?って話

思考の順番としては
①『穢れ』が毒にしかならない、不要なものにするなら『穢れ』が生まれる世界の仕組みを変えてしまえば良い
②『穢れ』が生まれるのは外的要因だから、その外的要因を潰してしまえば良いのでは?
③『想い』もカノヌシが生んでるけど、そもそも『穢れ』が存在しなければいらない構造なようだ
④では、カノヌシがいなくなれば万事解決になるのでは
⑤でも『穢れ』が生まれるもとになるカノヌシは世界の源だから消せないらしい
⑥でもテイルズらしくいくなら「不可能だと言われている事を可能にする」のでは
⑦それって本編と同じく「汚物は消毒だー!」って感じになるのでは……?
って順番。

205 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 11:13:29 ID:pI2O9vac0
→201
穢れの元を断つのが汚物の消毒だーなら、もうヘルダルフの言い分がすべて正しい事になっちゃうと思うんだけども…
別にカノヌシを殺して解決のつもりはないし、穢れって人間にとっても天族にとってもそれ以外の生物にとっても何一つメリットがないんだから、穢れの原因を取り除くのでも良いと思うんだけどな

263 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/05(日) 01:51:58 ID:vwN.7rq20
【穢れ】【想い】【エンディング】
穢れも想いも大切なものだ!
だけど、そんな力に頼ってちゃ駄目なんだ!
人が、天族が、みんながありのままの感情を持って過ごせる世界になるべきなんだ!
俺が倒すのはそれを阻む世界の在り方、そのものだ!
導師の使命を背負うのは俺が最後でいい!

こんな流れでは無理かな?
この後で穢れも想いも浄化もすべての力を手放すって感じでさ


2)「穢れ」が生まれるシステムは変わらないが、「穢れ」自体は否定する
+ 賛成派のアイデア、賛成意見、反対意見
166-168:真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 02:31:44 ID:mOAPAsGA0
【穢れ】
地の底に潜む「神(禍の主)」が負の感情から来る「恨み」を信仰(祈り)とみなし
世界に送り出す呪いの力、人や物を慿魔に変えて世界を破壊する方向へ導く


【想い】【天族】
親愛、感謝、賛美などといった精神から呼びこまれる「清らかなるもの」、
「穢れ」と対になる存在で、穢れを相殺し浄化する作用を持つ
また「天族」にとっての滋養でもあり、
精霊(神)的存在であり自然力そのものである天族は
人間がその存在を信じて(意識して)祈る、あるいは祀ることによって
そこから生じる「想い」によって力を得て
自然や世界を美しい状態に保つ機能を持っている(→加護領域)


【アヴァロスト時代の調和】
「穢れ」と「想い」はどちらも人間の精神状態によって招き寄せられるので、
人間の精神状態が調和をもって安定していれば基本的にはどちらかに偏る、ということはあまりない

人間が自然としての「天族」を祀り、自然や世界を守護する(加護する)ものとして存在を認める間は
天族は人間によって存在し天族の存在によって人間の生活が豊かで美しいものになる

逆に人間側が天族(≒自然、霊的なもの)の存在を意識しなくなると
人間側から見れば実際そういうものはいなくなっていくのと同時に
その加護も得られなくなっていくのだが、これが精神の荒廃、
別の形で見れば心が癒されづらくなることにより穢れが溜まり易くなっていく
こうなると穢れが心の荒廃を呼び心の荒廃が穢れを呼ぶ悪循環

たとえるなら現代社会が唯物主義に染まり精神性を置き去りにすることによって
心の孤独に悩まされるものが増えるとかまあそういうイメージに似ている

アヴァロストの調律時代には天族と人間のこの調和関係が理想的に保たれていて、
人間、天族ともに「穢れ」を自浄作用で消化して溜め込むことなく円滑な感情生活を営んでいた

しかし現在はこの関係が失調しており、人間が天族の存在を忘れかけ意識しなくなっているために
天族の加護領域が機能せず人間の自浄作用だけでは人間の社会生活上の現実からくる
穢れを処理しきることができずに基本的に穢れが溜まる傾向にある

人間は天族と違い物質的現実に制約を受ける「生物」であるがゆえに
それ自体はどうしても穢れを溜めこみやすい


【なんで今のようになっているのか】
【クローズドダーク】
そもそも「穢れ」と「想い」が感情に応じて呼び寄せられるのは神代の時代からのことで
自然の摂理の一種なのでこれ自体は問題とはならないが、
アヴァロスト調律時代の終わりに天族と人間の関係が決定的に決裂する事件があって、その際に
世界全体に穢れがばらまかれ一旦旧世界がほぼ滅亡という事態に陥った、とします
この事件によって多くの人間と天族がともに滅んでしまったので
それ以後天族は人間の目に映らなくなってしまい、天族と人間が近しく交わっていた時代は終わって
天族が見えない人間は次第にその仲間のことを忘れていき、
現在は加護が弱まることで穢れが溜まり易い世界に変わっているわけです

クローズドダークの内容としては、自分的には
「天族のような存在になろうとした人間の一団と、彼らの説得に動かされて人間を助けようとした
 一部の天族が「人間の天族化(霊化)の実践に失敗、世界に穢れがばらまかれる結果になる
 人間の天族化に多くの天族は反対しており、賛成派の天族(+人間)との間で戦争が起こる
 結果最終戦争の様相を呈し世界は破滅、人間に同調した天族の8人が堕天し八天竜となる」
というのを推しておきます
人間と天族どちらにも悪意というほどのものは無かったのですが
人間の側に天族に対する劣等感、あるいは「自分たちは下の存在なのでは」という無意識レベルの卑下が、
天族の側に人間に対するやはり無意識の優越感が芽生えていたことが、穢れが爆発した遠因となったと思われます

さて、その後戦国時代を経て一気に近代となり、件のミケル導師とヘルダルフ将軍の行き違いから
憤怒の狂気に駆られたミケル元導師がヘルダルフにオーバーキルな呪いをぶち込もうとしたことがきっかけとなり、
それまで世界の浄化作用を一手に引き受けていたマオテラスがあろうことか反転し
穢れのカタマリとかしてしまうという事故(と言っていいと思われる)が発生します。
おそらくそれ以前から全世界的に天族信仰の現象により天族の力が弱まり続けていたため、
そもそも世界規模の加護を維持することに限界が来ていたところに
身内のミケルがこのような発狂をしたためについに折れてしまったわけです

これにより、それまで減少傾向にあった「加護」による常時発動的な浄化効果が大幅に失われ、
目に見えて世界に穢れの方が多く溜まりだすようになります
災厄の時代の始まりです


【目標】
時が経つにつれ人間が次第に忘れてきた自然への感謝、見えざるものへの思いと言った
「スピリチュアルなもの」への認識を取り戻し天族と人間の関係性を回復(改善)して
アヴァロスト時代のような調和のとれたバランスを取り戻す

実のところ、人間はどちらの感情を持つこともでき政府どちらの感情に身を任せることも
自由であるがゆえに、天族と手を取り合うことも自ら慿魔となることも自由であるのだが、
それなら慿魔になるより天族と平和を築いていくべきなんじゃないの?
という話ですね


【ではラスボスは?】
穢れを出している源は地の底にいる神(カノヌシ)であるが
「カノヌシ」を倒したり「浄化」したりするというのは目的とはならないと思います
なんでかというと「カノヌシ」は「禍の主」として世界に「穢れ」を送る一方、
同時に「嘉の主」として「想い」の源泉をも司っている為であり、
「穢れ」を贈るのも「想い」を贈るのもそこに善悪があるわけではなく
一種の自然の摂理であり、現代において「穢れ」が溜まり易く「穢れ」側にバランスが傾いているのも
それは紙の正ではなく人間自身が「穢れ」の増す道を選択しているからに他ならないからです
「カノヌシ」は世界そのものとして自然のままに公平に、ひとの感情に応えているに過ぎません

従って穢れのもとを断つことは不可能であるし誤りでもあるのですが
穢れに傾倒するに任せれば(それは人間(天族もか)の自己責任ではあるが)
世界の滅亡へ突き進むことでもあるので、穢れ側に偏ったバランスは正さなければならない。

ので、導師のするべきことで重要なのはラスボス戦ではなくて、
むしろそこに至るまでの道中でいかに世界に明るい希望を持たせることができたかであって
災禍の顕主との戦いも問題の元凶を絶つ、ことではなく他のイベントと同じ、
救済(浄化)の一つでなければならない。

ただ、そうするといわゆる「事件の黒幕」、元凶や悪役を倒すと言ったカタルシスが無い分、
いささかシナリオのインパクトが不足するのではないか、という感も否めないので、
自分的な提案としてはまず「災禍の顕主」ヘルダルフの救済浄化と
「反転」させられ穢れブースターと化したマオテラス空の「穢れ落し」(これは戦闘にするかどうかは別の話)
の後、彼らから落した「穢れのカタマリ」(>>151の言うところの「呪いの核」)との
直接戦闘をラストバトルに持ってくるというのはどうでしょう
(意味合い的には色々なところから洗い落としてきて最後に残った穢れのカタマリを大掃除)
おまけ的な要素としてそれまでの道中でのイベントで浄化を成功させているほど
残った穢れも少なくなりラスボスが弱体化するとか。
戦闘前に今までのイベントで救ってきた人や天族の祈りが集まってカタマリを消耗させる演出入れるとか


ここからは補足というか余談
【何故穢れがあるのか】
【世界の創造】
神代の昔、「無」の神だったカノヌシは「無」から「有」を創造するため
「陰」「陽」の二つを作った。
「陰」と「陽」は相反するものでその狭間には二つのものの関係が生まれ、存在となった。
初めは「0」のみであったのが、「+1と-1、+2と-2、+3と-3…」といった感じで
存在が生まれていったわけである。
ここから4つの属性が生じ、世界が作られたわけであるが、この「陰」と「陽」が
本来の「穢れ」と「想い」の源泉である。
カノヌシ(と最初に生まれた4属性の大神)は神代の時代に死んで黄泉へ下り、
「陰」、即ち穢れを世に送り出す禍神(まがつかみ)となり、
後を継いだ生きた神々(天族)が「陽」(生)を司り「想い」を集めて世界を守るようになった。

かような由来と成り立ちゆえに、「穢れ」のもとを断つことは世界の存在を消すことであり、
成してはならないし、そもそもできない。

「穢れ」と「想い」の相互作用こそが生であり存在であるからである。

169 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 02:49:05 ID:mOAPAsGA0
→166-168の要点は
  • 感情に応えて「穢れ」や「想い」が生じる
  • 「穢れ」は慿魔を作り「想い」は天族を作る
  • 人間はその気の持ちよう(或は世界への態度)によって
 「穢れ」「想い」どちらと生きることもできる(不可能ではない)
  • 現在は天族を認識するものが減っている関係で基本的に穢れ有利(穢れが溜まり易い)
  • さらに最近マオテラスが反転した為穢れ超有利に(マオテラスの加護領域が無くなった分
 常時発動していた浄化(抗穢れ)作用の大半が消えてしまった)
  • 手間暇はかかるけど世界の人の精神を啓蒙(?)して「想い」を取り戻させれば
 もっと「穢れ」vs「想い」のバランスを想い側に傾かせることができるよ
  • 究極目標はアヴァロスト時代だよ
  • ラスボスはヘルダルフとマオテラスがため込んでいて彼らから落した
 「穢れ」のカタマリでどうかな

195 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 01:00:30 ID:5A6vIXG.0
『穢れ』の存在を否定したうえで、『穢れ』が発生するのは外的要因があるからだったら、
その外的要因をただ潰せば良いってことにもなりかねないのがちょっと…
俺のイメージとしてはテイルズって「「穢れ」のもとを断つことは世界の存在を消すことであり、
成してはならないし、そもそもできない。」みたいな、出来ないとされていることをどうにかするRPG
という印象が強いから受け入れがたく感じている面があるかも。

196 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 01:02:03 ID:wCQNhvgQ0
【穢れ】
→192
「穢れ」と「慿魔」自体は毒と病気みたいなものっていうのは、すごく分かりやすいんだけど、
でも誰にとっても毒(しかも避けるのが難しい)なら、それは排除すべきだよね?っていう考えが消えないんだ……
それがどんなに困難なことでも主人公なんだからなんとか頑張れよ、って思ってしまうんだ……

198 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 01:34:57 ID:rZHyRH9k0
→195 →196
私は「穢れ」と人間の「負の感情」を関わっているが別のものとして分離してみているので、
人間は自分の「負の感情」は受け入れて付き合っていく必要があるが、
「穢れ」まで肯定する必要はないんじゃないかという形ですね

いわば「穢れ」は人間が「負の感情」に囚われ踊らされることによって
悪堕ちすることの視覚化した表現に過ぎないという考えです
逆に「想い」は平たく大づかみに言えば人間が「善意」によって
世界を良くすることの比喩と言えます

私の考えでは「穢れ」によって悪いことが起きたりするわけではなく
人の方が悪に魅せられて惹かれると「穢れ」を身に着けると言った順序なので
「穢れ」は事態の元凶や本質ではないんですよね
そのせいで扱いがある意味軽くなっているというか

別の言い方をするとカノヌシは人間が求めるままに「穢れ」も「想い」も
どちらも与えられる世界を提供しているので、
「想い」を手にして平和で美しい世界を作るのも
「穢れ」をまとって争い世界を壊して滅ぼすのも
人間が好きにしていいってわけです

「想い」と共に未来へ向かうか
「穢れ」と共に破滅を呼ぶか
「想い」と「穢れ」は人間に選択を任された二者択一、そんな感じのイメージでした

200 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 04:05:27 ID:pI2O9vac0
うーん、今の世界の在り方じゃ駄目だから世界の構造まで変えてしまおうってのもテイルズじゃない?
エターニアだったり、シンフォニアだったり、ヴェスペリアだったり、あの辺は世界の根幹から作り変えてるし

201 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 06:42:52 ID:5A6vIXG.0
「『穢れ』を生むという世界の仕組みを変えることは不可能」ってされていても、
「『穢れ』が生み出されない世界の仕組みに変える」という行為は、
「不可能だと言われている事を可能にしている」し、「今の構造ではだめだから世界の根幹から変えている」わけだから、この二つはこの話題に限定すれば同義だと思ってるよ。

163では「『穢れ』が生まれる世界構造を変えることは不可能」という定義があるから、
その発生源かつ世界の源である「カノヌシ」を消すという解決策はあり得ないとなっているけど、
カノヌシがいなくなることで、192定義の『穢れ』(つまりただの毒であり病原菌にあたるもの)が無くなるのだとしたら、
200,195でいうところの「テイルズらしさ」が発揮されれば、
「カノヌシがいなくても成り立つ世界を作る」
→不要なものはお掃除という本編的な発想になるんじゃないの?って話

思考の順番としては
①『穢れ』が毒にしかならない、不要なものにするなら『穢れ』が生まれる世界の仕組みを変えてしまえば良い
②『穢れ』が生まれるのは外的要因だから、その外的要因を潰してしまえば良いのでは?
③『想い』もカノヌシが生んでるけど、そもそも『穢れ』が存在しなければいらない構造なようだ
④では、カノヌシがいなくなれば万事解決になるのでは
⑤でも『穢れ』が生まれるもとになるカノヌシは世界の源だから消せないらしい
⑥でもテイルズらしくいくなら「不可能だと言われている事を可能にする」のでは
⑦それって本編と同じく「汚物は消毒だー!」って感じになるのでは……?
って順番。

214 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 18:14:49 ID:rH8lVv7Q0
【穢れ】
穢れを否定しないために無理に穢れにメリットを作る必要は別にないんじゃないか
俺らだって完璧にきれいな部屋より多少は散らかってたほうがとはいうものの、
じゃあ部屋を散らかしましょう!ってのを目標にはしないじゃん?
綺麗にしたいなーっていう目標があった上での副産物じゃん?>多少散らかる
目指すのは綺麗な世界だけど、それで多少悪い物が出ても自然の摂理よ って思えりゃいい、そんだけじゃね?
部屋を綺麗にするのにほんの少しの埃や汚れにもいちいち目くじら立てて
『綺麗にしないと!これはいけない事だ!!!』っていちいちやってたら多分疲れるしストレスも溜まるし精神的に絶対よくない。
でも大量の埃を「自然の摂理だから~」って放置するのは怠慢だしそれもまたよくない。
「完璧」は諦めず目指すものであっても完全に誰もがそうある必要は別にない。
穢れはようはそういう位置なんでないかなと… うーん上手くいえないな

220 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 20:28:19 ID:gujm4kQkO
私も穢れの扱いは214程度でいいかなー
要は度を越さなければ出ても着いてもまあ良いでしょってなもので
あること自体は驚異じゃない

その上でゴミ屋敷を作らないように皆で心がけませう、みたいな

人間自身の心にも優しい気持ちが持てるうちは自分で「想い」を呼んで
自浄もできるはずだしね

231 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 23:48:13 ID:rZHyRH9k0
私は自然の営みを表しているのは天族の方で、
「穢れ」て慿魔になるってことはむしろ人間が円滑な自然の営みから逸脱して
(乖離して、と言ったほうが適切かもしれない)不健全な状態になったものだと思う
いうなれば本質的に「間違った状態」に向かっているというバロメーターなのであって
基本的にはこれが0に近づくように努力する方向で構わないと思うんだけど
(どうせ0にはならないのだが)

自分の主張としては「穢れ」の扱いは
「無いと困る、存在するべき」なんていうものじゃなくて
「基本的には湧いても益無し、増えすぎれば害悪、だけど少量ならまあいいだろう」
程度のもんだと思うんですよ

人間だから普通に生きてれば嫌なことあって穢れを呼んじゃうような感情を抱くようなこともあると思うけど、
まあちょっとくらいならそれもいいんじゃないの、そうなった穢れは周りで受け止めて浄化してやるから…
という感じ

何か役になってるかと強いて言えば「穢れ」というか「穢れ」を生むような感情」を持つことで
人間の精神はガス抜きできる面はあると思うけど、それは「穢れ」の効能ってわけではないので
むしろそういう感情をそのまま抱き続けてると「穢れ」を溜めすぎてしまうから逆効果になるよ、
っていうことだと思うの

233 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/05(日) 00:06:10 ID:ZOdENzNA0
ところで思ったんだけど、みんなは

1,「急いでるのに信号待ちでイライラした」「友達と喧嘩して辛い」「人が死んで悲しい」とか、
そういう人間としては当たり前の様な感情でも『穢れ』は(極少量だが)発生する。
その思いを抱え続けたり、破壊衝動や憎しみといったような感情に発展してしまうと、
発生する『穢れ』の量は多くなり、憑魔化などの問題に発展してしまう。

2,「急いでるのに信号待ちでイライラした」「友達と喧嘩して辛い」「人が死んで悲しい」とか、
そういう人間としては当たり前のような感情では『穢れ』は発生しないが、
その思いが破壊衝動や憎しみといったような感情に発展してしまうと、
『穢れ』が発生し、憑魔化などの問題に発展してしまう。

のどっちの認識なんだろう?
ちなみに自分は前者の認識だから、『穢れ』を発生することは必ずしも間違ったことではないと思ってるんだけど
(喧嘩したり、誰か死んでも何も思わないのは、それこそ間違ってると思うから)
後者なら『穢れ』を発生させるのは「間違った状態」となってしまうよね

235 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/05(日) 00:13:45 ID:3P7AWQVo0
→233
私のイメージだと厳密に言うと2.ですかねー

ただ普通の人間は1.の状態の時に2.の状態になることを避けられないと思うので
現実的にはほぼどっちでも変わらないと思います

ブッダみたいな出来た人(聖人の類)なら1を素直に感じつつ
尚且つ2には陥らない、といった精神状態を維持できるのかもしれませんが
そういう強値は目指すべきであっても実際いたるのはまあ普通無理かと(笑)

260 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/05(日) 01:46:58 ID:3P7AWQVo0
【穢れ】【想い】【ED】
私の場合は要約すると
「『穢れ』が生じるシステム自体は世界の基礎構造であって変更はしない(出来ない)が、
『穢れ』を出さないような生き方を提示することによって『穢れ』に悩まない世界を作る(作れる)」
ということになるのだけど

それゆえ「穢れ」自体は単に人間(天族、世界)の状態の悪化を示す指標であればよく、
わざわざ積極的に世界の中に役割を持たせる必要は感じていないわけね

EDでは「負の感情が穢れを呼ぶ」システム自体を無きものにするのではなくて、
それ自体はそれとして理解し残した上でそのシステムにのっとって穢れが溜まってしまわない
「生」のスタイルとしての天族と人間の共存関係の再生を示せばよいと思っていたの

264 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/05(日) 01:56:00 ID:3P7AWQVo0
例えば私は人間と天族の思いの結びつき→加護領域→世界の美化→穢れの発生を抑制
という共生関係で「穢れのシステム自体はそのままだが穢れは出ないようにする」つもりですが
この場合は「小規模な穢れは同じ人間、および周囲の人間(天族)の正の感情が呼ぶ「想い」で浄化(相殺)できる」
という前提になっていて、これの根本的な根拠がそもそも「特別な浄化の力に頼らなくても、人の想いや心で『穢れ』は浄化できる(ことに気付く)」にあたるものです

つまり「穢れが生じるというシステムそのものとは共存」してますが
「穢れという(ある種の)物質そのものとは共存するつもりはない」です

そしてこの説の場合は別に穢れに役割付与は特に要らないことになります

291 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/06(月) 03:19:21 ID:iS0fMBUE0
「穢れ」が生まれるシステムは変わらないが、「穢れ」自体は否定するという説の強みはシンプルさゆえに
EDまでの大体の設定の役割と落とし方が決定済みで
迷走が少ないだろうという点

逆に難点と考えられるのは最終的な形が天族信仰の再興を前提としているので
天族を信仰=神的な意味付けととらえることで人によっては
感情的抵抗があるかもしれないという点か

あと自説に限るとカノヌシ周辺はかなり独自設定盛りなのも難しいところかも

294 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/06(月) 06:33:03 ID:mzUDqVm20
→291
天族信仰に関して個人的に思う事を書いてみるね
単純に宗教的に感じて、あまり良い印象がないっていうのもある(個人的にあんまり宗教って好きじゃないので)

その個人的感情は除いた上で、思った問題点

  • どうやって信仰を根付かせるか
一般人には穢れも見えないし、天族も見えないからどうやってその存在を認識させて、信仰させるのかという事
存在するのを認識させても信仰するに足る説得力のある理由が必要(穢れというものがあり世界に害があると認識出来て、その上で天族が対処法を持ち、その事に異論を持たずに受け入れられるだけの説得力がいる)
まずこのハードルがかなり高いと思う

  • 根付いたとして、その後の悪用の可能性
本編でも出てきたけど、偽の導師が現れて私利私欲の為に悪用する可能性
教会などの組織が悪用する可能性もある
何よりそれを識別する手段が一般人には一切存在しない

  • 悪用された場合の対処方法
一般人には識別不能だから、判別出来るのは天族が実際に見える人間に限られるが、国主導で偽物の排除を行うのかという事
下手すると国による宗教弾圧になりかねない
あと導師が絶対的な権力者になる可能性が高い

個人的に危惧しているのはこの辺の可能性かな
長年かけて自然に根付く宗教観なら別にいいんだけど、極一部の人間の手によって信仰を広めようとするとかなり危険な弊害が出ると思う
特に国が主導してやるなら尚更危険

300 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/06(月) 14:58:36 ID:iS0fMBUE0
心のありようとか、話が基本的にスピリチュアルなところに踏み込んでるので(これは原作時点でもそうだが)
どうにも宗教的なフレーバーが出てしまうのが自説の難しいところですね

提示されている問題(難関)についての基本的な解決と言いますかその方針としては、
結局草の根的な地道な活動によって個々人の意識を改善していくことで少しずつ
人間全体の霊応力を高めていく、というような(ある意味地味な)話にならざるを得ないのかもなと

  • どうやって信仰を根付かせるか(普及の問題)
まあ信仰というともろに宗教になりますが
ゼス界の場合天族は一応(霊的とはいえ)隣人として実在するものでもあり
上位に君臨して細かい制約を課してくるというものとは違うのでそう固くする必要はないと思いますが

それはさておき、普及の問題はやはり最初で最大の根本的な問題になるのですが、段階的には

1)物語や芸術などによる天族の認知(そういう概念の普及)
2)実体験と結び付けての「そういうものが実際あるんだな」という実感
3)天族の存在を前提した上で祭り(祀り)や日常での心の持ち方を意識するという行動

という順序がありますが、「導師」のすることは主に2ということになるでしょうか。
1)はもうちょっと初期のことですが逆に導師でなく社会全体の努力というべきで(昔話の保存とかになるので)
3)は個人の選択に任せるところなので。

ハードルが高いのは間違いなく、最終的な地点にたどり着くにはすさまじく気の長い話になってしまいますが
普通の人が自力だけでは難しいであろう2の部分を与えられるように旅を続けるのが導師の役目として
「俺たちの世界はこれからだ!」的にEDとする方向で良かろうかと

  • 根付いたとして、その後の悪用の可能性
偽物はまあ私らの世界の方にもいっぱいいますからこれは避けようのない問題ですけども
逆に言うとこれこそ人間個人の問題と言ってもいいと思いますよ
そもそも信じる信じない、祀る祀らないからして一人一人の自由選択ですし
本物でも偽物でもそれがいいと思うのならあがめればいいのです

  • 悪用された場合の対処方法
恐らくこのあたりが、ライラさんなどが「政治に関わるべきではない」という本来の意味なんだと思います
二番目の問題でも言うたようにこういうことは個人(一人一人)の体験、各々が自分の意思決定で選ぶことが重大なので
上からの指導で強制しようとしても違うものにしかなりませんし
だから「導師」が旅をして体験を共有してもらうやり方が肝要なのだろうと

一応本編では大きな目前の問題(災禍の顕主)までは解決するわけですから
その次のことは長年かけてじっくりやっていけばいい(というよりやっていくしかない)でしょう
本編での行動でひとまず理解者は得られているはずですし、
EDでも例えば天族見えないはずのセルゲイさんとか(バルトロさんとか)を通じて
皆も天族の実感を共有できるんだなってところは示せるはず

303 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/06(月) 16:34:09 ID:mzUDqVm20
→300
なるほど、基本的に長年かけて、基本的に自由意志に任せるって事ですね
とりあえず作中で出てきた偽導師だけはどうにかすべきではある気はしますが、思いっきり権力者にまで関係してましたし…
あー何か言い足りなくてモヤモヤしてなかったとこがあったんですが、何が突っかかってたのかハッキリ分かりました
具体的な期限や信仰の度合い、まぁとにかくどこまで行けば安全圏といえるのかの目安が一切無いんですよ
数値化出来るものじゃないから、いつまでにどの程度まで信仰があれば良いのかが分からないって点が引っかかってた
人間全員が信じなければ無理なのか、2〜3割くらいでも良いのかとかそんな感じかな?
あと、天族側の一般人に努力する要素がない点ですか

305 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/06(月) 18:07:29 ID:iS0fMBUE0
→303
ああー期限とか信仰度(?)とかの数値化は無理ですね確かに
検証できるような数値データみたいなものは無いですし

ただ「天族と人間の共生関係がバランスよく保たれた理想郷を作る旅に出る」のは
既にEDパートの話なのでその辺の具体的な数値目安は無くても特に本編に問題はないはずです
本編では原作同様とりあえず目の前に迫ってしまった「災禍の顕主」と
それがもたらす災厄を阻止するところまですればOKでEDで
「今後はこうしていけば災厄が来ることは無くなるね」って道が示せればいいかと

因みに自分個人として想定している(未来における)目標設定は
期限:無期限、目標:天族、人間双方の相互認知率100%というもの
提示されている目標は言い換えると理想郷の構築というものに近いですが
世界が現実である以上理想は決して、絶対に(絶対にです)達成されることは無いわけで、
その意味でも具体的な数値目標はあんまり意味が無いとも言えます
肝要なのは「そっちの方に向かって歩み続ける」意志だと思います

一方、天族一般にも主に人間観に置いて問題があるのも確かなので、
こちらの方は本編中で取り上げて改善する描写が欲しいところではありますね

天族サイドの問題としては主に
人間に対する根拠の微妙な優越意識、もしくは人間に対する蔑視が上がりますが、
実際自覚無自覚を問わず天族というのはどうも高慢で
「全く人間というやつはしょうがねぇ」的な上から目線な見方が目立つ気はします
これはまあ寿命の凄いギャップであるとか一人当たりに備わっている能力の規模の違いとか、
まあいろいろあるので無理も無いところもあるのですが(元々神とか精霊みたいなものでしょうし)
ただ天族の態度っていうのは一面「世界の主役は人間であって、自分たちは人間の活動の裏方みたいなものでしかない」
という感覚の裏返しではないかとも思います
天族側から見たら(見えないんだから無理ないとはいえ)自分たちだって住んでるのに
人間が一方的に世界を我が物顔で好き勝手にしてるんですからそりゃ面白くないに決まってますし
「向こうがこっち無視してんならいいよ、こっちだって無視して勝手にやっから」ってなるのもしょうがないですよね
見えなくても実際いるんだから

人間側から見たらどうせ見えないし何かされるわけでもないからと言って
実際いるものを「見えないのが悪い」とばかりにいないものとして無視して
自分勝手に振舞っても構うまいという考えや見えないんだから仕方ないと思え、ということを
相手(天族)に要求するというのはそれこそ人間の傲慢というものじゃないかと
私なんかは思うわけですが如何なものでしょう

306 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/06(月) 18:37:41 ID:mzUDqVm20
→305
天族が見えないことによる、人間と天族のそれぞれの意識のズレが問題なんでしょうね
偽の導師云々も見えないから好き勝手に捏造出来ると言えますし…
んー人間と天族の意識のズレって見方によっては、どっちも悪いし、どっちも悪くないってなるから見えないままで対処するのが難しいって印象ですね


3)「穢れ」を否定しないで共存する
+ 賛成派のアイデア、賛成意見、反対意見
152 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 00:17:42 ID:GgN8BNYA0
【穢れ】【想い】【カノヌシ】【エンディング】
この世界には、人々の感情に起因して『穢れ』『想い』といった霊的物質/精神エネルギーを発生させる機構が、
自然の摂理として備わっていた(五大神などの有無は関係ない)
少量の毒は逆に薬となるように、塵一つない綺麗な部屋よりちょっと散らかった部屋の方が落ち着く人もいるように、
『想い』だけでなく『穢れ』もまた世界や人々が豊かに暮らす上では欠かせないものだった。
『穢れ』が蓄積し『憑魔』となる事例もないことはなかったが、人間や天族の互いを思いやる心をはじめとする人間と天族の共存や、五大神の加護により、
それが大事となることはなく、ましてや『穢れ』に満ちた『災禍の顕主』や『ドラゴン』が誕生することは万が一にも起こりえなかった。
※五大神の役割は、『穢れ』と『想い』がバランスよく保たれるようにすること

そんな風に穏やかな生活を過ごしていたグリンウッド大陸の人々だったが、
しかしある時、当時五大神の1人であった「カノヌシ」がグリンウッド大陸の『穢れ』の発生量を増大してしまうような存在へと堕ちてしまった。
(この事態を「カノヌシ」による呪いだとするならば、『穢れ』が満ちて困るのはどちらかといえば天族なので原因は天族側のやらかしとするのが自然かも)
結果として、グリンウッド大陸は『想い』だけでは浄化しきれないほどの『穢れ』で溢れかえり、
文明の大崩壊が起きた(クローズド・ダーク)

あわやグリンウッド大陸の生物絶滅かと思われたその時、
マオテラスがカノヌシの代わりの新たな五大神となり、カノヌシの呪いを中和するような加護を大陸中に与えた。
しかしカノヌシの呪いは強く、マオテラスの力をもってしても、その全てを中和することはできなかった。
結果として、グリンウッド大陸は人々が暮らせるような場所に戻ったものの、
時として『災禍の顕主』や『ドラゴン』が発生するような場所になってしまった。
しかしその度に導師などが現れ、事態を解決していったため、
グリンウッド大陸の人々はマオテラスの加護のおかげで、ギリギリの均衡の上で平和な時を過ごせていた。
(この後、ミケルの凶行が起こる)

で、戦闘面でのラスボスはヘルダルフでいいんだけど、最終的な目標は「カノヌシをどうにかする」にしたいなと。
(イメージ的には、Vのデュークとほしはみ)
とはいえ倒して解決ではなく、例えばグリンウッド大陸の全ての人々の『想い』の力(よくある「(主人公)が頑張ってる…私たちは戦えないけど祈りましょう!」みたいなあれ)で、
怒りと呪いに満ちたカノヌシを解き放ってやる(浄化)みたいな。

結果、過去のように「『穢れ』が溢れかえることなく、『穢れ』と『想い』がバランスよく保たれる世界」になった


  • 『穢れ』と『想い』の発生を自然の摂理(決して変えられないもの)にし、
『穢れ』もまた豊かな営みをするために必要不可欠なものとすることで、
『穢れ』を一方的に否定することを避ける。

  • 『災禍の顕主』の発生などの負の連鎖という解決すべき問題の原因を「カノヌシ」に任せることで、
原因の排除による問題の解決がスムーズに行える。

  • その原因となった「カノヌシ」も被害者にし、最終的に救済することで
一方的な弾圧感&胸糞感を回避。ついでに情熱が世界を照らす感もでるかもしれない

  • 導師の浄化の力ではなく、根本的な解決を人間および天族に行わせる
→初めての(?)共同作業ってことで、人間と天族の共存の一歩になれたらいいな

あと、五大神であるマオテラスが導師とはいえ人間一人に憑魔化させられてしまったので、
自分は、五大神は頑張れば人智の及ぶ範囲内にはいるんじゃないかなという考えです。
なので、ハイランドとローランスの全ての人々の『想い』の力を集結させれば、
「カノヌシ」の救済(浄化)くらいできるんじゃないかなーと

「カノヌシ」により『穢れ』が発生するという案は自分も好きなんだけど、
それだと「カノヌシ」は生まれる前はどうだったの? という話になってしまうので、
あくまで「カノヌシ」は『穢れ』発生のブースター的存在としました。
(『穢れ』と『想い』の発生は世界に元々備わってる機構で、絶対不変のもの)

それと、『穢れ』も世界の循環の一部に含めるなら、
『穢れ』が存在するメリットってのを入れないと不自然かなと思った。
「穢れ自体は絶対悪!できるならなくした方が良いもの!」ってしちゃうと、
世界の循環の一部としては歪んでるかなって。
現実世界でも、二酸化炭素って悪いものってイメージあるけど、完全になくなると生物が住めなくなる。
他にも、自分の出す毒で死んじゃう生物とかもいるけど、
それは「外的から身を守るため」というメリットがあるから毒を出してるわけだし。

例えば、塵一つない綺麗な部屋よりちょっと散らかった部屋の方が落ち着く人もいるみたいに、
少量の穢れはむしろ生物の精神を落ち着けるみたいな。
あるいは、人間が食べる動物がエサにしている生物が穢れをエサとする生物、みたいな感じで。
「穢れ」がなくなったら世界として困るって感じの設定が欲しい。

「穢れ自体を絶対悪!」とするなら、穢れをなくそうエンドにした方が自然かな。
穢れの発生は自然の摂理だから止められないって言われるかもだけど、
いやいや主人公なんだからそのくらい頑張れよ、って少なくとも自分は思っちゃうw
(過去のテイルズでも世界の摂理を変えた例はあるしね。AとかVとか)

ちなみにこの案だと、
ミケルにより、マオテラスの加護が失われたグリンウッド大陸は、
実は、最悪の災厄の時代、クローズド・ダークの再来の危機に瀕していたのだった。
とちょっと壮大になりすぎな感じもする(笑)

154 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 00:33:24 ID:ArJSf1Z20
→153
穢れがあることによるメリットがどんなものになるかってのがちょっと引っかかるかなー
多分そこが問題だと思う
少量なら有益な毒もあるけども、少量でも致命的な毒もあるから明確な分かりやすいメリットが欲しいとこだね

155 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 00:36:58 ID:93bi4FWI0
→154
穢れがあることによるメリット…問題を抱えて苦しんでいる人が解る…とか?
隠したい人的には困るか… 
ところで想いにはデメリット皆無でいいのかな
行き過ぎた想いは害為す穢れに代わるみたいな感じ?
反面、ヒトを悼むことで生まれてしまった小さな穢れも、
その心持次第では想いに昇華できる的なサイクルがあってもいいのかも

156 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 00:42:04 ID:ArJSf1Z20
→155
個人的には穢れと想いは相互変換が出来ると思うんだ
行き過ぎた想いはちょっとしたきっかけで穢れに変わるとか、例えば一生懸命必死に努力していた事がひとつの事故で大きな絶望に変わるとか、逆に絶望に打ちひしがれていた時に救いの手が差し伸べられたら希望とかの想いに変わるとかさ
両方を受け入れることで清濁合わせ持ち、更なる力へと昇華するって展開をやりたい

157 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 00:44:01 ID:93bi4FWI0
→156
いいね~
絶望に打ちひしがれたヒトに手を差し伸べ、
その絶望は『消す』んでなく、その絶望を受け入れた上で希望へジャンプ!!!
みたいな展開は是非欲しいわ 清濁併せ持ちってのも是非推したいポイントだね

162 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 01:26:46 ID:93bi4FWI0
(「穢れ」と「想い」が)相殺 がなんか違うってのは凄く解る
清濁あわせ持って、受け入れてこそヒトなんだっておとしどころにするなら少々噛み合わないしね
悲しいことも腹の立つこともあってもそれを無に返すんでなくて
一度まず飲み込んで、そこから立ち上がらないとな

164 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 01:36:33 ID:tvK6zl7M0
ところで本編で穢れを全否定してるって言ってる人いるけど、別にそうでもない
実は穢れ自体は否定していない。“穢れすぎる”ことを否定してるだけで

ゴドジン村長とか、「なんか穢れてるなー」って人たちのことは思いっきり放置してるんだよ
憑魔化するほど“穢れすぎた”人間だけを浄化してる

ヘルダルフの主張は「どうあれ人間は穢れるんだから好き放題穢れちまおうぜ!」ってモノでさ、
対するスレイの主張は「がんばってほどほどの穢れに抑えていくのが人間だ」って言ってるんだよね。わからづらいけど

例えると、人間は生きるために食事をせずにはいられない。で、もっともっと好きなだけ食べたいって誘惑に駆られるけど、
そこはガマンしてほどほどにするのが健康的な生き方でしょって、そう言ってるワケだ

かように本編は結論としては別におかしなことは言っていない。だがあまりに言葉が少なすぎてわかりづらいのと、
その結論にたどり着くまで過程が全く描かれていないため、プレイヤーに全然伝わっていないというのが問題なのだなぁ

171 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/03(金) 10:16:47 ID:0VFu3wTA0
遅刻ぎみですまないが、ちょっと投下させてくれ……!

【穢れ】【想い】【浄化】【穢れの外的要因】【カノヌシ】【マオテラス】【導師の役目】【災禍のケンシュ】【クローズドダーク】【ラスボス】

『穢れ』と『想い』は共に感情に起因し外部に影響を与える霊的物質という、
基本的に同じ性質のものであって、互いに相殺するものではない。

『想い』はちょっとした切っ掛けで『穢れ』に反転しやすく、
また、『想い』は病的なまでに蓄積されていたとしても『穢れ』の蓄積と違い『憑魔化』という分かりやすい状態にならないため、
『浄化』すべき危険な状況にあるかが分かりにくく、対処が遅れてしまう。
抱いていた『想い』が強ければ強いほど『穢れ』た時に周囲に及ぼす影響は大きい。(まど○ギの魔○化みたいなイメージ)

『想い』は外部に好影響をもたらす反面、
それを生み出すもととなるヒトの心には負荷がかかる。
そのため、ほどほどの『想い』は本人にも周囲にも好影響を与えるが、行き過ぎた『想い』はヒトの心を壊す。
ただし、これ(心を壊す)は一人が100の『想い』を生み出しているような状況に限り、
10人が10の『想い』を生み出しているような状況では起こらない。

『穢れ』は外に吐き出すということで、それを生み出す本人の心を守るという機能があるが、その反面、
生み出された『穢れ』は蓄積すると外部に害をもたらし、
行き過ぎた『穢れ』は心を守る機能も行き過ぎ心を覆い隠してしまい(『憑魔化』)、全ての事象を色眼鏡で見ている状態になり妄執が加速し『穢れ』を生み出す量が多くなり、負のスパイラルに落ちる。

また、『穢れ』や『憑魔化』の要因は負の感情を抱くといった一つだけでなく、「心の疲弊」も原因の一つであり、
作中でスレイが「堅苦しさが危ない」「あまり気負いするな」などと言われるのは「心の疲弊」を危惧しているから。

※フォートンは「国民を守る」や「責任感」などの『想い』が抱えきれなくなり「反転」した結果の『憑魔化』のため、
『浄化』を拒み、自己を否定するスレイ達との邂逅により『想い』が更に生み出され心が壊れてしまったと考える。
→『想い』が反転した『憑魔』は『浄化』しにくい

『浄化』は『穢れ』も『想い』もゼロの状態に戻す、白紙の状態に 戻 す 力 であって、
浄化した対象が発生源である場合、浄化した後の『心の救済』が重要である。

『穢れ』はカノヌシの加護によって生まれ、
『想い』はマオテラスの加護によって生まれる。

カノヌシはデゼルやサイモンのように、正しい加護を与えているにも関わらず、ヒトに害をもたらしてしまう体質の天族であるため、
「ヒトの心を守る」という加護を与えようとした結果、『穢れ』や『憑魔化』という「呪い」とでも言えるようなものが発生してしまった。

マオテラスはカノヌシと同等の力を持つ天族であり、カノヌシと同じように加護をもたらそうとした結果、
カノヌシの「呪い」と相反する加護として『浄化』というゼロに戻す力と、『穢れ』と逆の性質を示す『想い』が発生するようになった。

よって、カノヌシとマオテラスの加護が両方とも健全に働いている場合は問題なく、
寧ろ快適に生きる事が出来るが、大陸にもたらされている加護の形質がどちらかに傾いてしまうと、災害や戦争が起こりやすい環境になったり、ヒトが心を病みやすい環境になったりする。

導師の役目は「大陸の加護をニュートラルな状態にする」(白に戻せ的な)ことであり、今回のように大地の加護がカノヌシに傾いてしまった場合、導師が最終的に選べる手段は
①大地に加護をもたらしているカノヌシを殺す
→加護が無くなるためニュートラルな状態になる
②災禍のケンシュを倒した後、マオテラスの加護を取り戻し、大地にこびりついてしまった『穢れ』を地道に『浄化』していく
→加護の均衡がとれるためニュートラルな状態になる
ということになる

加護がどちらかに傾いてしまう事は過去にも何度かあったが、
今回の災厄が酷いのは、『災禍のケンシュ』という『穢れ』のブースターが現れたのと同時にマオテラスの加護が失われたから。
クローズドダークではそれを解決する導師がいなくて大変な事になってしまったのではないかと思った。

ラスボスに関しては、最後に剣を交えるのはヘルダルフが良いと考えている。
ただ、最後に解決しないといけない問題はカノヌシだと考えている。

捕捉として、カノヌシはヒトの事が好きで加護を与えた結果、
自分の加護のせいでヒトが苦しんでいるということに絶望してるから導師がカノヌシを殺すという選択をした場合、
大人しく殺されようとしてしまうと思ってる
→①の選択は楽

196 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 01:02:03 ID:wCQNhvgQ0
【穢れ】
なんていうか自分は、「穢れと共存END」を目指すために『穢れ』にややこしい設定(「穢れ」の存在意義とか)を求めてるって感じかな。
「穢れ」を単なる人間の精神状態の悪化の程度を表すメーターだとしても実際に被害出てるからなあ……
人間(と天族)が穢れて暴れるだけならまあ自業自得かなってギリギリ思えなくもないんだけど、
モノとか動物とかが穢れて暴れて被害を出すっていうのを考慮に入れた上で「穢れ」と共存となると、
「穢れ」に存在意義を与えるしかなくね? って結論しか自分の脳みそでは思いつかんかったんだ……

204 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 08:10:59 ID:tc3UYw5I0
【天族】【穢れ】【エンディング】【人間と天族の共存】
あと、『穢れ』という害をもたらすものとの共存を考えることで、
デゼルやサイモンみたいな「加護を正しく与えているのに、加護対象を不幸にしてしまう体質の天族」が苦しまずに生きていける方法というか、落としどころを見つけることに繋がるんじゃないかなって思ってる。

なんとなくデゼルやサイモンの加護と『穢れ』が近しいものに感じるんだよね。論理的にってよりも、心象として。

『穢れ』と共存する方法が見つかったなら、デゼルやサイモンのような天族とも共存する方法が見つかりそうだなって。
だからこそ『穢れ』は基本的に害を及ぼすもので排除すべきと思われがちだけど、
実はその害の裏に益が隠れてるってことにしたかった。

209 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 13:28:31 ID:pI2O9vac0
穢れにメリットをつけるって案自体は否定しないし、有りだとも思うんだけども、そのメリットがいまいち思い浮かばないというかイメージ出来ないんだよね
誰か穢れがあることによるメリットの案、ありません?

210 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 13:47:55 ID:gujm4kQkO
というか穢れにメリットを設けるとなるとわざわざ
対になる「清いもの」として「想い」を設定した意味が薄くなると思うの

繰り返しになっちゃうけど
基本的に「穢れ」が出るから悪いことになるわけではなく
(人間が)悪い状態になっていることが「穢れ」として目に見えるってことだと思うのね
だから「悪い状態の証」である「穢れ」に良い意味を付加するべきではないと思う

感情の話で言えば「悲しい」とか「辛い」とかは「負の感情」として共存できても
そこから「どこかに原因となる悪者を求めて」誰かを憎んだり
憎みたいと思うこととは戦わなければならないし
共存できないししてはいけないとも思う

211 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 13:52:58 ID:wCQNhvgQ0
すごくふわふわした意見なんだけど
「ものが散らかっていてGが出るような汚い部屋は嫌だけど、ものを少し出しっぱなしにすることやチリ一つの存在も許されないような綺麗すぎる部屋も居心地悪いよね」
って感じかなあ。
『穢れ』が消えたらその時点で世界崩壊します!レベルでなくても、
『穢れ』がなくなったらちょっと困るなあ程度でもいいと思うんだ。

あ、もちろん多い穢れは憑魔になったりしちゃうので、
あくまで「極少量の『穢れ』は益となることもある」っていう前提ね
(ついでに、現代では災厄の時代に突入してるので『穢れ』が極少量で存在することは稀なため、
『穢れ』にはデメリットしか存在してないように見える)

214 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 18:14:49 ID:rH8lVv7Q0
【穢れ】
穢れを否定しないために無理に穢れにメリットを作る必要は別にないんじゃないか
俺らだって完璧にきれいな部屋より多少は散らかってたほうがとはいうものの、
じゃあ部屋を散らかしましょう!ってのを目標にはしないじゃん?
綺麗にしたいなーっていう目標があった上での副産物じゃん?>多少散らかる
目指すのは綺麗な世界だけど、それで多少悪い物が出ても自然の摂理よ って思えりゃいい、そんだけじゃね?
部屋を綺麗にするのにほんの少しの埃や汚れにもいちいち目くじら立てて
『綺麗にしないと!これはいけない事だ!!!』っていちいちやってたら多分疲れるしストレスも溜まるし精神的に絶対よくない。
でも大量の埃を「自然の摂理だから~」って放置するのは怠慢だしそれもまたよくない。
「完璧」は諦めず目指すものであっても完全に誰もがそうある必要は別にない。
穢れはようはそういう位置なんでないかなと… うーん上手くいえないな

216 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 19:19:48 ID:wCQNhvgQ0
【穢れ】【エンディング】
目指したい『穢れ』の扱いはまさに214なんだよな

感情や心がある以上『穢れ』が出るのは仕方ないことだよね(大前提)
→(穢れが完全に毒にしかならないなら)その当たり前の感情を抱くことを許さない『穢れ』発生のシステムを止めよう!
ってうのが、穢れなくすENDの考えで、

→ヒトが当たり前に出す程度の『穢れ』なら毒にはならないよ。その程度の『穢れ』は生み出して良いんだよ。
(それをより強調するために少量の『穢れ』に存在意義を与えている)
っていうのが、穢れと共存しようENDの考えだと自分は思ってる(違ってたらすまん)

で、『穢れ』の何が厄介かって、
自分で生み出した『穢れ』が他人にも作用しちゃうところなんだよね。
自分の家は綺麗なのに、隣の家から出た埃で自分の家まで埃だらけ! となるのは理不尽すぎる。

218 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 20:18:58 ID:rH8lVv7Q0
→216
【穢れ】
よその家が火事になったら引火って感じかな
そういうことも起こりうるから火の扱いには気を付けようとはなるけど、
火が悪!!消しましょう!!とは別にならないからいいのでは
と思ったけど火は使用メリット解りやすくあるもんな 難しいな
あーいやでも別に皆火が好きなわけではないよな 必要だから出てくる要素なんであって
火は二酸化炭素出すし火事起こしたりするから使うのやめろ!ってなっても
いやでも既に人の営みをするにあたって火は生活に組み込まれちゃってるし 的な
あーいやなんかこれも伝わりづらいな 難しい…

あ、
少量の穢れ(自分の家の汚さ)←自分の問題で済む
大量の穢れ(自分の家の汚さ)←お隣さんに迷惑がかかる
こう考えたら解りやすいかも?

221 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 20:29:56 ID:pI2O9vac0
【穢れ】
一番の問題って多分、穢れは人間には自覚出来ないって事だと思う
自覚出来ないからメリットがあったとしても、それ自体が認識出来ないって事になる
自覚出来るとこまで穢れたら憑魔になってるだろうし…
無自覚で害のある物に少量ならメリットがあるって難しい気がする

224 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 20:58:03 ID:rH8lVv7Q0
→221
【穢れ】
"大量の"穢れは普通に視認できるようにすればいいんでないかなぁ
そしたら あ、これはちょっとアカンって教えてくれてる って指針になるし
あれ?ていうか本編の『人間』達って穢れのこと知ってたっけ?
天族は穢れのこと知ってたけど、そこの認識差でまた変わるよな
知らないならまず穢れというものがあるんですよって知らないといけないし

222 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 20:37:57 ID:Hd7Rh5N.0
穢れ自体にメリットを付けるというような、ムリなこじつけをする必要はないと思うね
それ自体はただのゴミでも、出る過程に注目することで、心の活力の“証”として捉えることができる

生き物は、何かを得るためには必ずゴミを出さなくてはならない

生きるために酸素を吸えば二酸化炭素を出さなければならないし、モノを食べれば排泄物を出さなければならない
何も汚さずして、ただ得るだけという都合のいいことはありえない

同じことで、心が活発に動けば同時に穢れというゴミも出る。これは仕方のないことだ
ロボットのように心が動かなければ穢れも出ないのだろうが、そんなつまらない人間はそもそも生きている価値がない

穢れ自体はゴミだ。だが穢れが出るということは、人間らしくイキイキと生きているという証だ
排泄物自体は始末に困るゴミだが、それがよく出るということは、よく食べて体が健康でいる証なのと同じことだ

穢れは特に役に立たないし溜まり過ぎると害すら出る。でも心の活力のバロメーターでもある
だから出すのは当然。でも出しっぱなしじゃなくてちゃんと処理していこうよって、それでいいんじゃないかな

223 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 20:47:08 ID:wCQNhvgQ0
→222
でも、二酸化炭素は植物のエネルギーや酸素排出の元になったり、地球の気温を生物が住めるよう保っている。
排泄物だって、土に還れば土地の栄養源となり、またヒトに還ってくる。
二酸化炭素だって排泄物だって、悪いものと一蹴することはできなくて、それらを排出することは地球の循環の一部になってる。
こういう風に、『穢れ』を世界の循環の一部にするなら、何らかの役割を与えたいという思いがあるんだよ。

226 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 21:32:27 ID:5A6vIXG.0
【穢れ】
俺も、穢れがあくまでも自然の循環の中の一つって事なら
223みたいに考えたい
あくまで大量・過剰にあるから害になるって感じで。
まあ、穢れには害しかないと前提して、
部屋はちょっと汚い方が落ち着くよね論も分かるっちゃわかる。

228 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 23:02:03 ID:rH8lVv7Q0
【穢れ】【想い】
基本的な考え方は214だが、223の言いたいこともわかるし納得も行く。
そこで想いと穢れは相互関係の考えを入れるのはどうだろうか
穢れは穢れのまま放置するとよいものではないけど、想いに昇華することができる。
また、人の気持ちが穢れとして出たことで、近しい人は「そんなに苦しんだんだね」とより思いやれる。
気持ちなんてのは本来見えるものじゃないからな
それが危険信号として出てくるのならば(大きな穢れは視覚化できるという設定を持ってきてるが)
近しい人親しい人大切に思ってる人はそれ相応の対応もできようよ
態度だけでは自分のつらさを出さなくて静かに壊れていく人もいるだろうから
まあそこで、実際に穢れに出さないほど隠すのが上手な人を話に組み込んでみたりすると、また話が広がるのではないかなと

231 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/04(土) 23:48:13 ID:rZHyRH9k0
→223
強いて言うなら「穢れ」によって保たれるのは慿魔だと思いますけども
慿魔を植物とかのような自然の営みの一部と考えていいものかというと
ちょっと違うと思うのよね

どちらかというと私は自然の営みを表しているのは天族の方で、
「穢れ」て慿魔になるってことはむしろ人間が円滑な自然の営みから逸脱して
(乖離して、と言ったほうが適切かもしれない)不健全な状態になったものだと思う
いうなれば本質的に「間違った状態」に向かっているというバロメーターなのであって
基本的にはこれが0に近づくように努力する方向で構わないと思うんだけど
(どうせ0にはならないのだが)

あと「穢れ」が心を守る効果を持つのではないかという意見があったようだけど、
確かに慿魔化することで人間は悩みから解放されるように見えるけれども、
それはいわば悩むための心を放棄する(壊してしまう)ことで
苦悩を感じる能力を失っているのであって、それこそ
負の感情を受け入れるどころか完全拒絶しているのではないだろうか

233 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/05(日) 00:06:10 ID:ZOdENzNA0
→231憑魔を自然の営みの一部と捉えるのはなあ……うん、違うと思う
『憑魔』という種族がいるならそれもありだと思うけど、
その場合は『憑魔』とも共存しなくちゃ!となりかねないから自分は反対w

ところで思ったんだけど、みんなは

1,「急いでるのに信号待ちでイライラした」「友達と喧嘩して辛い」「人が死んで悲しい」とか、
そういう人間としては当たり前の様な感情でも『穢れ』は(極少量だが)発生する。
その思いを抱え続けたり、破壊衝動や憎しみといったような感情に発展してしまうと、
発生する『穢れ』の量は多くなり、憑魔化などの問題に発展してしまう。

2,「急いでるのに信号待ちでイライラした」「友達と喧嘩して辛い」「人が死んで悲しい」とか、
そういう人間としては当たり前のような感情では『穢れ』は発生しないが、
その思いが破壊衝動や憎しみといったような感情に発展してしまうと、
『穢れ』が発生し、憑魔化などの問題に発展してしまう。

のどっちの認識なんだろう?
ちなみに自分は前者の認識だから、『穢れ』を発生することは必ずしも間違ったことではないと思ってるんだけど
(喧嘩したり、誰か死んでも何も思わないのは、それこそ間違ってると思うから)
後者なら『穢れ』を発生させるのは「間違った状態」となってしまうよね

258 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/05(日) 01:41:52 ID:ZOdENzNA0
自分は「穢れが大量に付着して大変に穢れた状態になった人(物)が憑魔である」って考えだけど「穢れを世界循環の一部として役割を与えたい」派だよ

【穢れ】【想い】【エンディング】
思考の順番としては、
①前にこのスレで見た「特別な浄化の力に頼らなくても、人の想いや心で『穢れ』は浄化できる(ことに気付く)」っていう案や、それに付随したシーンが好きだったので入れたい(多分wikiのどこかにあるはず)
②でも最終的に「穢れなくそうEND」なら①の気付きは全くの無意味になるよね?(「穢れ」がなくなれば浄化の力も必要なくなるので)
③なら「穢れをなくすED」にはできない
④でも「穢れは害しかないもの」だとすると、それを止めないのはテイルズの主人公としてはどうなの?(穢れの発生は止められない? そんなの主人公なんだからなんとか頑張れよ)
⑤じゃあ「穢れ」に何かしらのメリットをつけるしかなくね?
⑥なら「穢れ」を世界の循環の一部として何かしらの役割を与えて(世界の循環の一部とするなら『穢れ』を絶対悪とするのは不自然)
 「穢れ」を全てなくすことはいけない、「穢れ」と「想い」のバランスが大事なんだ!としよう(「穢れと共存END」)
っていう思考の順番

263 :真の名無し@転載は禁止:2015/04/05(日) 01:51:58 ID:vwN.7rq20
【穢れ】【想い】【エンディング】
→258
穢れも想いも大切なものだ!
だけど、そんな力に頼ってちゃ駄目なんだ!
人が、天族が、みんながありのままの感情を持って過ごせる世界になるべきなんだ!
俺が倒すのはそれを阻む世界の在り方、そのものだ!
導師の使命を背負うのは俺が最後でいい!

こんな流れでは無理かな?
この後で穢れも想いも浄化もすべての力を手放すって感じでさ

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最終更新:2015年07月03日 20:30